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知っていますか? 横浜の貴重なピアノ2019年12月25日

松本ピアノのメンテナンス。とても貴重なシーンです


皆さん、こんにちは。
もう冬休みに入られて、いよいよ大晦日直前ですね。年明けには受験やコンクールなどを控えて、年末・年始を慌ただしく過ごされる方も多いのではないでしょうか。

さて、今年最後のブログで横浜にあるアンティーク・ピアノを2つ紹介します。1つ目は
私たちもよくコンサートを行う、山手西洋館の1つ・ブラフ18番館の「松本ピアノ」です。
松本ピアノは千葉県君津市出身の松本新吉が1893年に設立した楽器製造会社で製作したもので「西川」「山葉」と並ぶ国産ピアノメーカーの草分けです。
1887年に叔父の西川虎吉の弟子入りのため横浜にあった西川風琴製造所に勤務。その後独立して1892に独立して東京新湊町でオルガン製造を始め、1900年に渡米し半年ほどニューヨークのブラッドベリーピアノ工場で研究生となりした。帰国後の松本ピアノはアメリカ修行の成果もあって品質には定評があったそうです。
ブラフ18番館のピアノは横浜市港北区師岡町の村上邸で使用されていたものを譲り受けインテリアとして展示されていますが、コンサートを行う際に演奏することができます。「かなコン」でも今年の1月にここでサロンコンサートを行い、フルート演奏の際に伴奏で使用しました。ピアニストの人も「こんなアンティーク・ピアノを弾けて、とても貴重な機会でした」と感激されていました。今後も機会があれば是非、ブラフ18番館でサロンコンサートを行いたいと思います。



ブラフ18番館にある100年前の松本ピアノ


1月のサロンコンサートで実演

そしてもう1つは横浜中華街を代表する名店「萬珍樓本店」に所蔵されている「周ピアノ」です。こちらは横浜のスウェイツ商会の招きで1905年にピアノ工場主任として中国から来日した周筱生(シュウショウセイ)が、1912年に独立して山下町に店を構え「周興華ピアノ」を設立しました。
当時、ピアノは家1軒と同じくらい高価だったそうです。周ピアノは堀ノ内(現在の横浜市南区)に工場を持つほど大変繁盛しましたが関東大震災で創業者の周筱生を失い、太平洋戦争では空襲で工場が焼失したりスパイ容疑をかけられるなど苦難が続き、さらに終戦の翌年(1946年)に2代目の周譲傑(シュウジョンエ)が36歳の若さで病没、約300台を生産した周ピアノの歴史は幕を閉じることになりました。
現在10台ほど現存が確認されていて、うち3台が萬珍樓本店に展示されています。初代の周筱生が製作したものが1階の入り口付近に展示してありますが、レストランホールにある2代目・周譲傑製作のピアノはまだまだ現役で、連日19時10分~50分に演奏されています。実際に周ピアノを弾いた人の感想が「軽やかな音色」だと広報の方を通じて伺いました。ご興味のある方は是非、萬珍樓本店でお食事をしながら聴きてみてください。

今年も皆さんには大変お世話になりました。「かなコン」にずっと参加されて、遂に憧れのステージに立った人、逆に悔しい思いをした人、大勢のお友達ができた人等々、皆さんにとっての「かなコン」は如何だったのでしょうか?
私は今年もコンクールやコンサートを通じて多くの人とお話することができ、素敵な演奏に拝聴することができました。
来年もよろしくお願いいたします。良いお年を!(tsuka)


周ピアノを3台所有している萬珍樓本店


入り口付近に展示されているのは初代が製作。蓋の裏に「S.CHEW」とサインが


レストランのピアノは連日使用されている現役。こちらのサインは2代目の製作を表す「S.CHEW&SON」