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コンクール開始直前に想うこと2019年3月11日

皆さん、こんにちは。あと数日で今年の「かなコン」が始まります。23日の「やまと芸術文化ホール」と「テアトルフォンテ」を皮切りに、6月9日のピアノ部門本選「フィリアホール」までの約3ヶ月間の長丁場です。

準備も着々と進んでいて、日々プログラム作成や18日に神奈川新聞紙上で掲載予定の「参加者特集」などに追われています。

毎年この時期が来ると思い出すことがあります。2011年の第27回大会が中止になったことです。理由は3月11日の「東日本大震災」。早いものでもう8年も経つのですね。「かなコン」にも震災後に生まれた人が幼児の部や小学校低学年の部に参加するようになりました。私にはつい最近のことに感じますが、それだけインパクトが強かった出来事です。これまで何度かこのことを書こうと思っていましたが、ついコンクール直前情報を優先してきました。これ以上先送りすると自分の中で風化してしまう恐れもあって、敢えて今回は綴ることにしました。

8年前の第27回大会は私が「かなコン」担当としてデビューするはずの年でした。今と同じようにプログラムの校正やら会場毎のスケジュール作成などが佳境に入っていて本番まであと10日ほどという時期でした。午後2時45分頃に大きな揺れが発生、公共交通機関は軒並み止まるなど都市機能が麻痺する尋常ではない状況に見舞われました。

社内の至る所でテレビのスイッチを入れると、震源地が東北太平洋沖で数分後に津波が到達する警報が発令されたことを報じていました。いくつかの施設で天井が落ちる被害(あのミューザ川崎も!)がありましたが地震による大規模な建物倒壊の情報はなく、震源地付近の港でも気持ち水位が上がった程度だったので安堵していました。

ところがその数十分後、ヘリコプターの映像は湾を目指して沖から一直線に押し寄せて来る津波を捉えていました。津波があっという間に堤防を超えて港の施設を破壊し、勢いを増して建造物を次々と呑み込みながら遡上して行く画面を他の社員と呆然としながら眺めるしかありませんでした。波に混じった重油が引火して炎が上がり夜の闇を赤々と照らす様は、昼間の津波の光景とは違った生き地獄さながらの映像でした。

自分が住んでいる国で今まさに起こっている大災害をテレビ画面で見ていることに、まるでパニック映画を鑑賞しているかのような現実感の欠如を覚えた一方で「あの津波と炎の中でいったい何人の人が亡くなったのか」と恐ろしくなったことを今でも思い出します。

後日、会場となっている数カ所の施設から余震や計画停電で運用ができないことや参加者の心理的な不安を考慮して「かなコン」を初めて中止することを決定。参加者には返金したり7月のチャリティー演奏会に出場してもらったりと対応に四苦八苦した年でした。

その年の9月に被災地を訪れ、災害の爪痕を目の当たりにしました。建物の柱だけを残し無残に破壊された商業施設の残骸やたくさんの廃車がうず高く積み上げられたり、大きな街灯が道に横倒しになっていたりと想像を超える惨状でした。被災が大きかった海岸エリアを離れ、内陸部に移動した際に公園で子ども達が遊んでいる姿を見てほっとした刹那、隣の空き地を埋め尽くした震災の膨大ながれきに目を奪われました。これは一生忘れることができない戦慄の光景です。

「交流の響き」では福島のコンクール入賞者には震災後に毎年参加いただいています。数年前にこの演奏会で被災地の復興状況を来場者に知ってもらうパネル展示を参加新聞社に提案したところ、福島の担当者が「被災した時が小学校1年生なので、きっと心の奥深くでトラウマになっているはず」と憂慮されたので見送ることにしました。実際に被災された人には我々には計り知れない心のダメージを負っているのでしょう。それでも健気に演奏された姿には心打たれました。東日本大震災以降、熊本や広島で災害に見舞われています。それでも「交流の響き」を辞退されることもなく県代表の誇りを持ってミューザ川崎のステージに立たれています。昨年の熊本代表の人が「地震で被災された人たちの前で歌ったら涙を流して喜んでくれ、音楽の力を改めて知った」と力強く語っていました。

そうです、皆さんもピアノでヴァイオリンで、そしてフルートで大勢の人を勇気づけたり喜ばせることが出来るんです。コンクールまで残り時間が限られていますが、どうか萎縮しないで自分の演奏に誇りを持って楽しんでステージに上がってください。たとえコンクールで失敗しても余り深刻に思わないで、皆さんの持っている「音楽の力」を信じてください。私たちはそんな皆さん一人一人を応援しています。(tsuka)