パリを中心に活躍した洋画家・藤田嗣治ら、戦時中に旧藤野町(相模原市緑区)に疎開した画家たちが残した作品が12月、22年ぶりに一般公開される。食糧を提供するなど画家たちの世話をした家に贈られ、その後長く眠っていたもの。住民との戦時下の交流から生まれた作品には、画家たちの素顔が表れている。
旧藤野町は東京から近く、豊かな自然を気に入った藤田が戦火を逃れ、1944年に移り住んだ。交流のあった画家や作家も呼び寄せ、戦争末期から戦後の一時期、十数人の芸術家が疎開したという。こうした史実から、当時の藤野町と県は86年に芸術を中心としたまちづくり「藤野ふるさと芸術村構想」を提唱。構想から25周年を記念したことし、相模原市が地域に眠る疎開画家の作品展を企画した。
相模湖畔で船宿を経営する山本幸雄さん(56)=同区吉野=の家も疎開画家を受け入れた一軒。屋敷の2階を4年ほど、洋画家の佐藤敬一家に貸した。当時は農家で食べるものに困らなかったため、近所に疎開していた藤田も自転車に乗ってよく遊びに来たという。
今も屋敷には、出征する山本さんの父のため、「まめ(元気)に帰ってこい」の願いを込めた「豆とカエル」の絵や、コミカルなタッチと写実的に描き分けた祖父、曽祖父の似顔絵など藤田が贈った作品が残る。このほか、佐藤の描いた裸婦画など、作者不明のものを含めて30点ほどを保管。屋敷の前で撮った佐藤家と藤田の集合写真、藤田が佐藤に宛てて疎開を促した直筆のはがきもある。
藤田の作品を国内で最も多く所蔵するポーラ美術館(箱根町)の内呂博之学芸員は「戦争画を描いたことから藤田は戦後批判を浴びるが、『豆とカエル』の絵からは藤田の戦争に対する姿勢が分かる。似顔絵も、即興でコミカルに描くことを得意とした藤田らしい。疎開先での交友関係や地元の人々との交流がうかがえ、非常に価値がある」と評する。
作品展では、山本さん所蔵の藤田や佐藤の作品など、地域住民から提供を受けた約20点を展示。藤田直筆のはがきは初公開となる。山本さんは「芸術家に愛されたまちの歴史を多くの人に知ってほしい」と話している。
市藤野総合事務所(緑区小渕)で12月2日から同11日まで。入場無料。問い合わせは市藤野まちづくりセンター電話042(687)2117。
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