川崎市のミューザ川崎シンフォニーホール(同市幸区)を本拠地とする「東京交響楽団」が、震災の影響で苦境に立たされている。ホールが被災して長期間使用できず、予定していた公演も次々とキャンセルとなり、リハーサル会場も転々としている。「早くミューザで“復活コンサート”をやりたい」と大野順二楽団長(50)。楽団員とともに、その日を待ちわびている。
震災当日に見た惨状は衝撃的だった。天井仕上げ材などが客席に散乱。大野さんは「言葉が出なかった。音楽家にとってホールは楽器であり家なんです」。
2004年7月にオープンしたホールで、練習や演奏を繰り返しながら「いい響きがつくり上げられていった。それが途中で壊れてしまった」と大野さん。楽団員でコントラバス奏者の加藤信吾さんも「ホールが修復された後、音がどうなるか不安」と話す。
同楽団は02年に市とフランチャイズ契約を結び、同ホールで年間約100日のリハと30日の公演を行っている。リハ会場で練習を重ね、公演で最高の音を披露する―。高い評価を得ている同楽団の強みは、演奏技術に加え、ホールの音響の良さ、フランチャイズの利点がある。リハーサル会場を押さえるため、楽団のスタッフが奔走している。
震災以降、計画停電や余震などの影響もあり、およそ20件の公演がキャンセルされた。公演1回の出演料は480万円。計1億円近い減収も予想される。
3月26日のサントリーホール(東京都港区)での定期公演は、開催をめぐり議論が割れたという。楽団員には、福島県南相馬市や仙台市などの出身者もいる。「やるべきではないのか」。犠牲者を悼み、曲目にモーツァルトの「レクイエム」を取り入れた。涙を流す観客がいた。大野さんは「開催してよかった」。
楽団の苦境は続く。だが、力強い支援もある。ミューザで予定していた公演は、川崎市の協力などで、市内の昭和音楽大学(麻生区)や洗足学園音楽大学(高津区)のホールで代替開催が可能になった。
同楽団でコンサートマスターを務める大谷康子さんは「川崎は音楽のまち。市内のあちこちで楽団の演奏を聴いてもらえるチャンスでもある」と前向きだ。大野さんも言う。「これまで大勢の川崎市民に支えられてきた。会場が変わっても、ぜひ応援してほしい
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