壁は黒ずみ寒風が吹き抜けているはずだった。さいはてへの玄関口、北海道旭川駅は姿を変えた。35年ぶりの冬に訪れると首都圏の私鉄のようにしゃれた新品の高架線駅があった。細かい雪が吹き付ける夜、稚内行き急行利尻に乗り込んだ記憶がある。古びたホームを包んだあの物寂しさはもうない。
旭川は北辺へ向かう鉄路の分岐点だ。この先の宗谷本線や石北本線に、それほどのにぎわいはない。かつてC55やD51など蒸気機関車がけん引する列車が進むほどに、車窓にはさいはて感が募ったものだ。
有数の寒冷地、この季節は氷点下20度の酷寒もある。地元のおばあちゃんは、野菜が冷凍にならないよう冷蔵庫に入れると言っていた。重連を撮影するため降り立った石北本線常紋信号場の朝、ダイヤモンドダストが舞った。大切なカメラを卵のように暖めた。
旭川最大の見どころは、扇形庫で有名な旭川機関区だった。数十両の蒸気機関車が煙を上げていた。もう廃止されたが、いま人気の旭山動物園などより興奮する名所であったことは間違いない。
高架線駅となり、寂しさを求めて旭川を旅することはもうできない。都会で場末の酒場が消えるのと同じように残念だ。さいはて感は消えつつあるのか。そうだ、稚内へ行ってみよう。(O)