東北新幹線は新青森までつながった。やがて津軽海峡を渡る。蒸気機関車を追う撮り鉄の聖地だった北海道。新幹線の乗り入れは20世紀には考えられなかった。東京から新函館へ快適な鉄道旅行となる。だが旅の途中の出会いは消えていく。いつまでも記憶に残る宝物が
▼初めて北海道を訪れたのは40年ほど前になる。上野発の夜行列車・急行八甲田は満員。青森まで4人掛けのボックスシートで眠れない夜を過ごした。朝の青森、中途半端な目覚めのまま連絡橋を小走りに青函連絡船に乗り込む。4時間ほどで着いた港の風景が目に焼き付いた。はるばる来たぜ函館
▼登山用ザックにカメラバッグと三脚を持った中学生だった。急行八甲田や連絡船で隣り合わせた人たちは、「ぼうや、どこに、何しに行くの」と好奇の目を向けた。ミカンや菓子をもらい、ふるさとの自慢話をいっぱい聞いた。すてきな時間だった
▼連絡船の通路を行商のおばちゃんたちが大荷物を背負い歩いていた。50年ほど前、連絡船から函館に降り立った随筆家で詩人の故串田孫一さんは『北海道の旅』(平凡社)で、「毎日いろいろな運命を背負った人たちが行き来する」と書き残した
▼乗換駅は人の交差点でもある。その情感を感じ取れるのは旅の醍醐味なのだろう。(O)
(2010年12月24日)
【神奈川新聞】