
NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルで「日本のウイスキーの父」と称される竹鶴政孝とリタ夫妻の人生をたどる企画展「ウィスキーが来た道」が、逗子市立図書館(同市逗子)で開かれている。逗子は療養のためリタが晩年を過ごしたゆかりの地。逗子から発送した手紙のコピーなど貴重な資料も展示されている。「マッサン」の放映に合わせた企画で、11月15日まで。
政孝がスコットランドに留学中だった1919年、2人は出会った。困難を経ながら29年、日本国産第1号のウイスキーを誕生させ、34年には北海道余市町にニッカウヰスキーの前身「大日本果汁」を設立する。
リタが逗子へ移ったのは55年、60歳前後のことだ。展示文献「リタの鐘が鳴る」(早瀬利之著)には、肺炎になったリタに政孝が「鎌倉か逗子、葉山、温かい土地に引っ越そう」と提案したことが紹介されている。逗子海岸近くに居を構え、体調が良いときには海岸や商店街を歩いたという。
逗子の家からリタが出した手紙は、政孝の郷里・広島県竹原市の竹鶴酒造が所蔵。同図書館が竹原郷土文化研究会を通じ、コピーを譲り受けた。担当の吉見国子さんは「逗子と竹鶴夫妻のつながりを知る機会にしてほしい」と話す。
逗子市小坪から訪れた男性(59)は、自身の長い米国生活を振り返りつつ「違う文化に飛び込む困難を2人で乗り越えていく姿に感動する」としみじみ見入っていた。
ほかに、ウイスキーに関する紀行や小説など約100冊も紹介されている。
【神奈川新聞】