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焦土潤した歓喜の歌…「第九」60回目の定期演奏会/横浜交響楽団

神奈川新聞 | 2009年12月12日(土) 12:52

横浜交響楽団が初めて第九の演奏を手掛けた第48回定期演奏会=1950年、米軍の室内運動場だったフライヤー・ジム=横浜交響楽団提供
横浜交響楽団が初めて第九の演奏を手掛けた第48回定期演奏会=1950年、米軍の室内運動場だったフライヤー・ジム=横浜交響楽団提供

年末の風物詩となったベートーベンの交響曲第9番―。誰もが耳にしたことのある「歓喜の歌」(第4楽章)が、まだ市民に定着していない1950年12月、空襲で焼け野原だった横浜で連続公演にいち早く着手したのが市民オーケストラの横浜交響楽団(小磯智功理事長)だった。合唱団を市民公募で結成するという、今ではおなじみの手法もここが先鞭(せんべん)をつけた。いわば草分けを自負する「横響の第九」が、県民ホールで13日に開かれる619回定期演奏会で60回の節目を迎える。

戦後間もなく、この大曲に注目したのは、横響の創立者で指揮者の故小船幸次郎だった。33年に誕生した同楽団の第48回定期演奏会で取り上げ、会場は米軍の室内運動場だったフライヤー・ジム(伊勢佐木町)。横浜国立大や県立横浜平沼高校の合唱団にも協力を求め、ソリストには、現在藤沢市民オペラ総監督などを務める畑中良輔さん(バリトン)も名を連ねた。

公演プログラムには「技術的にいささか無理な企画であることは初めから分かっているが…」とあり、市民オーケストラにとって冒険であったことがうかがえる。

それでも小船がこの曲にこだわった理由について、小磯理事長は「生の喜びと、人々の確かなつながりを歌い上げるシラーの詩が、戦後復興期に共感を呼ぶと考えたのでは」と振り返る。「文化の底辺を広げるのはアマチュアの仕事」が持論だった小船は、市民がクラシック音楽になじむには、オーケストラと合唱が一体となったこの曲が大きな推進力となると期待したという。

初めての第九公演では、7千人を超える聴衆がフライヤー・ジムを埋め尽くした。当時のメディアは「行列が会場周辺を6周するほどで、座席のない人は空いた場所に座りこみ、桟敷のようだった」などと伝えている。

54年には、紅葉坂に建設された県立音楽堂に会場を移し、毎回満員の聴衆を集める人気公演となる。76年には公募による市民合唱団を結成。実は、市民合唱団の多くが独自公演で多忙となり、苦肉の策だったという。

小磯理事長は「毎年多くの出会いを与えてくれるのが第九演奏会。市民とともに長く続けていきたい」と話している。

◆ベートーベンの交響曲第9番 日本で初めて演奏されたのは1918年6月。第1次大戦中、徳島に収容されていたドイツ人捕虜たちにより演奏されたといわれる。日本人による初演は24年11月、東京音楽学校(現在の東京芸術大)が講師と学生200人で行った。年末に集中して演奏される習慣は日本独自のものだ。ベートーベン没後100年を迎えた27年から楽曲が次々と国内で紹介され、最も知られる作曲家に。47年には、日本語訳された合唱部分が小学校6年の教材となり、より広く知られるようになった。

◆第619回定期演奏会 午後2時開演。ワーグナー「聖金曜日のための音楽」(楽劇「パルシファル」より)も演奏。甲賀一宏指揮。600人を超える市民合唱団が参加。チケットは1500円。横響事務局電話045(824)3176。

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