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14年にしんゆり映画祭20周年、代表の白鳥あかねさん「生涯現役で恩返し」/川崎

神奈川新聞 | 2013年11月21日(木) 22:03

「苦労ばかりね。よく続けてこられたなと思う」。映画の世界に飛び込んで58年。これまでのキャリアを振り返りながら浮かべる笑みは、柔らかくも自信に満ちている。

1955年、大逆事件や売春問題の研究に取り組んだ評論家の父の紹介で新藤兼人監督に弟子入りし、日活に入社した。当時は「圧倒的な男性社会だった」という映画界。女性が担える仕事は役者やヘアメーク、映画制作のプロセスを管理するスクリプターに限られ、白鳥さんはスクリプターとしての道を選んだ。

実績を積むにつれて自身でメガホンを取ることも夢見た。しかし、夫が映画監督だったことから業界では猛反対された。「夫婦で競争するのは良くない」といった理由だった。「ものすごく悔しかった」

それでも、育ててくれた日活への恩義を感じていた。72年には脚本家デビューを果たし、「渡り鳥シリーズ」などで知られる斉藤武市監督らとともに数多くの名作を手掛けた。

2人の子を出産後も職を手放す考えはなかった。育児と仕事を両立させ、80年にフリーに転向してから今に至るまで、映画に携わり続けている。

95年、日本映画学校(同区、現日本映画大学)の創設者・今村昌平監督に誘われたのを機に「しんゆり映画祭」に参加。「新百合ケ丘の地に文化を築きたい」という一心で始まった小さな祭典は、今や全国に誇る一大イベントに成長、ことしは計3343人と過去最多の観客が来場した。

当初は学生ら映画学校関係者が運営の主体だったが、次第に市民ボランティアによって支えられるようになった。「映画を愛する大勢のボランティアに囲まれ、映画祭を盛り上げる立場にいることが何よりの幸せ」とかみしめている。

人生に充実感を与えてくれた映画の仕事に感謝は尽きない。現在は、来年の20周年に向けて構想を練る毎日だ。「自分が元気でいる限り、映画と関わっていたい」。目標は後継者を育て、映画祭を継続させること。生涯現役として、恩返しを続ける。

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