鎌倉の文化人に愛された鎌倉市小町のウナギ料理店「浅羽(あさば)屋」が30日、閉店した。仕入れ値の高騰とデフレ不況のあおりを受けた。65年のれんを守り続けた古都の老舗も、時流に逆らえなかった。
先代の故・浅羽和彦さんが1948年、同市・下馬に創業した。50年に鶴岡八幡宮から由比ケ浜へ続く若宮大路沿いに移転。段葛(だんかずら)入り口の二の鳥居脇に店を構えることから、「二の鳥居さん」と親しまれた。
作家の大仏次郎は白焼きと黄身酢あんかけの酢の物を求めて通い、映画監督の小津安二郎は出前を好んだ。食糧難の戦後、芸術家の北大路魯山人に菜種油を分け、自作の陶器を返礼にもらった。川端康成や早乙女貢ら鎌倉文士のほか、笠智衆や田中絹代ら俳優もひいきにした。
その日に仕入れたウナギを早朝から1匹ずつさばくこだわりが、美食家の舌に愛された。反面、こうした手間暇が「時代に合わなかった」と女将(おかみ)の優子さん(60)は悔しがる。
ウナギの仕入れ値が高騰すると、経営難に陥った。2500円のうな重を700円値上げしたが、それでも「利益度外視」(優子さん)だった。
2代目の信章さん(64)はここ4年間、給与全額を経営資金に回してやりくりしてきた。売り上げより、店の存続を優先したが、デフレ不況が追い打ちをかけた。昨年暮れに店じまいを決めた。
年明けから張り紙で閉店を知らせると、常連から「残念」「お店を小さくしても続けて」と、惜別の声や花束が届いた。優子さんは「お客さんにかわいがってもらって、長いことやってこられた」と感謝する。
段葛を行き交う参拝客の縁起をかつぎ、「運納喜(うなぎ)」の字を当てたのれんが降ろされた。