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津波そのとき~旭市・継承のバトン<上> 心の復興仲間と

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

波で被災した旭市への思いを語る大木さん=神奈川大湘南ひらつかキャンパス
波で被災した旭市への思いを語る大木さん=神奈川大湘南ひらつかキャンパス

 逡巡(しゅんじゅん)しながらも確かな一歩を踏みだしたのは、2016年3月12日。自らにとっても大きな節目だった日を過ぎてから、交流サイト「フェイスブック」に思いの丈を書き込んだ。

 〈昨日で東日本大震災から5年。震災当時、わたしは中学3年生〉

 そう書き出した神奈川大3年の大木沙織(21)=川崎市=がつづったのは「知られていない悲しみ」だった。

 〈高校に入学した時、飯岡中出身というと飯岡津波大丈夫だった?っていろんな人が心配をして声をかけてくれました。知ってくれている、心配してくれることが嬉しかったし頑張ろうって思えました〉

 そう振り返った後、最近の境遇を記した。

 〈大学に入学して授業で自己紹介することが何回かあったけれど、東北出身の人には大丈夫だった?大変だったでしょう?と当たり前のようにみんなが声をかけます。『千葉県旭市出身です。』と言ったって誰が声をかけてくれるわけでもありません。この時わたしは、知られていない悲しみを経験しました。唯一津波の心配をしてくれたのは同じ千葉県出身だった人でした〉

 九十九里浜の北端に位置する千葉県旭市。津波にさわられて13人が死亡し、2人が行方不明となった海辺のまちで、特に被害の集中した「飯岡」が大木の生まれ育った場所だ。

 関連死を含め16人が命を失った同市の被害は首都圏では最悪だが、まちそのものを根こそぎにされた三陸沿岸のような壊滅的な状況を呈してはいない。だからニュースで取り上げられる機会は少なく、その苦難は知られていなかった。現実を思い知らされる一方で、大学のボランティア活動に加わり、より深刻な東北に出向いて自分なりの支援を重ねてきた。訪ね続けている岩手県陸前高田市で昨年2月、復興へ汗を流し続ける人々と言葉を交わし、自らと故郷を見つめ直す。

 〈本当の復興は心の復興。東北ボランティアに行ってハッとした言葉です。若い私達がもっと飯岡を盛り上げるべき!自分も含め飯岡みんなの心の復興につながるなにかをしたい!〉

 そんな思いに突き動かされた大木は、ともに成人を迎えた同級生たちに向けたフェイスブックをこう結んだ。

 〈忘れないこと、体験したことを周りに伝えることの他に前に進むために私達が飯岡でできることはまだまだたくさんあるんじゃないかなって思います。同期のみんな、協力してなにか飯岡のためにやろうよ!!!〉

 思いは共感を広げ、春に一つのグループが産声を上げる。「iii(トリプルアイ) project」。代表に就いた大木は、近くはないが遠くもない飯岡に心を寄せ続ける。

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