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相模原殺傷事件
「尊重し合う社会を」 相模原殺傷で県内団体が声明

社会 神奈川新聞  2016年08月04日 09:55

記者会見で声明を発表する明石理事長=川崎市役所
記者会見で声明を発表する明石理事長=川崎市役所

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で障害者ら45人が殺傷された事件に対する怒りと悲しみは、発生から1週間以上が過ぎた今も日増しに膨らんでいる。県内の関係団体は、障害者の命や尊厳を否定する元職員の容疑者(26)=殺人容疑で送検=の優生思想を打ち消す声明を相次いで発表。差別や偏見の助長に不安を募らせながらも、障害の有無を問わず互いに尊重し合える社会の実現を願う。命の重さをかみしめながら-。

 「どんなに怖かったか、どんなに痛かったか。信頼していた職員にやいばを向けられた時の恐ろしさは想像することもできない」

 障害者やその家族らでつくる「神奈川県重症心身障害児(者)を守る会」の伊藤光子会長(74)は事件に憤りを隠せない。

 容疑者が「障害者は生きていてもしょうがない」と供述しているとニュースで知り、強い衝撃を受けた。「うれしい時には笑い、悲しい時には悲しい顔をし、毎日を精いっぱい生きる重い障害を持つ方々が、共に生きていくことのできる社会を願っています」。抑えきれず、2日夜に声明文をホームページに掲載し、こう呼び掛けた。

 伊藤さんの次女(48)にも、重い知的障害と肢体不自由がある。言葉での意思疎通は難しく、寝たきりで身の回りのことはできない。だが「障害のあるなしにかかわらず、親にとって子どもはかけがえのない存在。殺されていいわけがない」。

 事件を機に施設が防犯対策を強化し、地域との接点が減ってしまうのではないかと心配する。「障害者を閉鎖社会に置くのではなく、施設や地域、行政が手を取り合い、障害者が安心して生きられる社会を実現させてほしい」と訴える。
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 川崎市自閉症協会などで構成するNPO法人かわさき障がい者権利擁護センターも3日、「自分と違うことで排除し差別すること、存在を否定することは決して許されない」とする声明を発表。理事長の明石洋子さん(70)は、「存在を認めないというこれほどひどい障害者差別はない。誤った認識を広げないため、それは違うと声を上げたかった」と強調した。

 自閉症の長男(43)がいる明石さんは、「誰にでも優生思想は根本にあると思う。私も子どもが生まれた時は優秀な子になって、良い大学に行って、と思っていた」とし、子育て期を振り返りながら「学ぶこと」の大切さを説いた。

 強度行動障害があり、いたずらを繰り返す「超多動」の長男。怒鳴る人もいて人生を悲観した時期もあったが、障害者と触れ合い長男との暮らしを通じ価値観が変わり、地域に出て行く方向に発想を変えた。周囲の人に長男の特性を話し、少しでも地域に理解者を増やす努力を重ねた。

 声明では、容疑者の供述に同調する意見がインターネットなどで散見されることに対し、「障害者に対する誤った価値観や認識でさらなる偏見や差別が助長されないか不安」と懸念を表明。事件を機に障害者と出会う機会を社会にもっと増やす必要があると痛感する。

 「障害は本人の能力よりも社会的な障壁の方が大きい。社会が同情、あわれみ、差別を持ってしまうのは知らないからだ。名前のある一人の人として地域の人に知ってもらうようになることが大事だと思う」

「犯人、絶対許さない」 遺族や知人、無念さ募る




 「犯人を許すことは絶対にできません」。相模原市の障害者施設殺傷事件で、背中を刺されて亡くなった40歳の女性の母親が3日、弁護士を通じてコメントを発表した。大切な家族を失った無念の思いは、犠牲者を知る周囲の人たちにも広がっている。

 「非常に悲しいし、つらいです。まだ、信じられません。今は、娘の魂が安らかに眠って欲しいと願うばかりです。遺族としても、落ち着くまで静かにして欲しいと思います」

 母親は、障害者への一方的な偏見と憎悪から凶行に及んだ容疑者への憤りと、娘の明日を絶たれた悲しみを文書につづった。

 近くに住む70代の男性は、母親と車いすで外出する女性をよく目にしており、「自由に体が動かない人の背中を刺すなんて信じられない。母親の気持ちを考えるとつらい」と唇をかむ。

 一方、首を刺されて死亡した60代の男性は、自宅近くの畑で大人になってからも父親の農作業を熱心に手伝っていたという。60代の幼なじみの男性は、自宅によくクワガタを持って訪ねてきたことを覚えている。「私の長男が喜ぶと、とてもうれしそうだった。優しい性格だった」

 2005年まで、やまゆり園で働いていた元職員の男性(51)は、亡くなった男性が入所者10人ほどのリーダー的な存在だったことを覚えている。洗濯物を運ぶ職員を手伝い、新人職員に施設のことを教えていた。畑作業では、イモや葉物野菜の世話を楽しそうにしていたという。

 「いつも職員を助けてくれる気さくな人だった。まだまだ、ほかの入所者のために頑張ってくれると思っていたのに」と肩を落とした。


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