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昭和音楽大学長・簗瀬進さん
【ひとすじ】政治改革の志、音楽教育に

社会 神奈川新聞  2016年08月02日 11:40

創立者の下八川圭祐氏の銅像の前で笑顔をみせる簗瀬さん=昭和音楽大
創立者の下八川圭祐氏の銅像の前で笑顔をみせる簗瀬さん=昭和音楽大

 自社55年体制の崩壊という戦後政治の転換期に存在感を放った新党さきがけの名付け親。1996年の民主党結党にも加わり「市民が主役の民主党」というフレーズを考案した。かつて政治改革に傾けた情熱をいま、音楽教育に注いでいる。

 「モーツァルトの時代は近代憲法ができる時期と重なる。憲法の原理と音楽の中で育まれてきた理念が実は深いところで結びつく。音楽も憲法もより深く理解してもらおうと、学生にそんな話をしています」

 元国会議員の簗瀬進さん(66)は今年4月、昭和音楽大(川崎市麻生区)の学長に就任した。2013年の参院選後に大学から誘いを受け、憲法学の教授に着任していた。

 「本当の意味で憲法の国民主権を実現するにはどうしたらいいか、政治家としてもがき苦しみ続けてきたところがある。憲法を音楽教育の場で学生に教えながら、どこか共通するものを感じる時はありますね」

 音楽と歌が好きだった。学生時代は男声合唱団。国会議員時代にも日本フィルハーモニー協会合唱団に所属し、劇場音楽堂法の議員立法も手掛けた。趣味で究めたアルトリコーダーや尺八を書棚に並べてある学長室で、自らの転身をこう振り返る。

 「自分に残されたエネルギーと情熱をかける舞台を与えられたことは幸せなこと。新しい人生の目標ができたと思っている」
 

再編の引き金引く


 「精いっぱいやれることはやった」という国会議員人生は衆参合わせて20年弱。その歩みは55年体制崩壊と政界再編、そして民主党政権の樹立と終焉(しゅうえん)に至る激動の政治史とほぼ重なる。

 栃木県議を経て自民党の衆院議員として国会活動を始めたのは1990年2月。その2年前に発覚したリクルート事件を機に政官財の癒着が深刻な問題となっていた。長期政権ゆえのうみに政治改革を求める世論が渦巻いていた。

 「政治腐敗を生まないために55年体制や派閥政治を打破しなければならなかった。そのための政権交代可能なシステムをいかにつくるかを真剣に考えた」

 最大の焦点は小選挙区制度を軸とする衆議院の選挙制度改革。しかし、議員自らの存立基盤を揺るがす改革に自民党内の抵抗は根強かった。若手グループで全国遊説や署名活動や有力者への直訴などに奔走しながらも、自己変革できない党への諦めが強まっていった。

 党の歴史観にも距離感を感じていた。91年の湾岸戦争時に開かれた党憲法調査会。連合国軍総司令部(GHQ)の押しつけ憲法論から自主憲法制定を主張するベテラン議員に若手ながらこう反論した。

 「戦争に負けたから押しつけられたわけで、なぜ負けると分かっている戦争を仕掛け、多くの命を犠牲にしたのか。憲法論議の原点は『押しつけ』ではなく『敗戦』であるべきだ」

 戦争を自己批判的に見られない党への違和感。政治改革を目指す党内運動が万策尽きた時、離党を覚悟していた。93年6月、宮沢内閣不信任案に賛成票を投じた。可決後に離党した武村正義、田中秀征、鳩山由紀夫ら10氏で結党したのが新党さきがけだった。

 55年体制の終焉、非自民の細川護熙連立政権樹立につながる政界再編の引き金を引いた形だった。

政治に欠けたもの


 さきがけを含む非自民非共産の7党による細川連立政権が発足し、94年1月に小選挙区比例代表並立制を含む政治改革関連4法案が成立した。得票差よりも議席数の振れ幅を大きくする小選挙区制は後の政治を大きく変えた。

 だが、いまの自民1強の政治状況は二大政党が切磋琢磨(せっさたくま)していく当初の理想とは違う。国会審議でも一国の宰相が野党の批判に子どものように色をなしたり、野党も揚げ足取りに走ったり、熟議の政治とはほど遠い。

 改革の旗を振った1人として胸中は複雑だ。

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