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【カナロコ・オピニオン】(13)デジタル編集部兼報道部・成田洋樹
時代の正体〈437〉私が黒岩知事の「心外」発言にこだわる理由

時代の正体 神奈川新聞  2017年02月02日 09:03

やまゆり園再建を巡り異論が相次いだ1月10日の公聴会=横浜市神奈川区のかながわ県民センター
やまゆり園再建を巡り異論が相次いだ1月10日の公聴会=横浜市神奈川区のかながわ県民センター

 大量殺傷事件のあった相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」の再建構想について、県は策定時期を3月から今夏に延期する方針を明らかにした。1月10日の公聴会で障害者団体や有識者から「同じ場所での大規模施設の再建は時代錯誤」「県の議論の進め方は拙速」などと批判が相次いだため、方針転換を迫られた形だ。「心外」発言が物議を醸した黒岩祐治知事の「いろんな声に耳を傾けたい」という言葉の本気度が問われている。

 黒岩知事の発言が飛び出したのは、大規模施設再建への反対意見が噴出した公聴会翌日の1月11日。やまゆり園職員や家族会の意向を踏まえて「スピード感」を持って再建を決めた経緯を説明した上で、「(県が再建を決めた昨年9月から)これだけ時間がたった今、建て替えの判断そのものが間違っているのではないかと言われていることは、非常に心外」と不快感を示した。

 県民らの声を反映させるために県自ら開いた公聴会で出た意見を軽視する発言だった。異論をはねつけるような物言いをするなら、なぜ公聴会を開いたのか。再建構想取りまとめへの単なる「儀式」だったのか。障害者団体などが求めた対話にも県当局は公聴会時点で消極的な姿勢を示した。ことは、障害者福祉だけの問題ではない。多様な意見を尊重するという民主主義の問題でもあるのだ。

 そもそもなぜ多くの異論が噴出する事態となったのか。公聴会で発言したのは県内の主な障害者団体の代表や、県の障害者施策審議会や社会福祉審議会の委員らだ。県の障害者福祉行政を進める上でのキーパーソンから多くの反対意見が出るとは、思いも寄らない「想定外」だったのか。想定外だとしたら、障害当事者らと日頃どう向き合ってきたのかが問われよう。想定内だったのなら、多数の反対意見を押し切って予定通り3月に構想をまとめる算段だった、という疑問が生じる。

 いずれにせよ、神奈川の障害者福祉を担う人たちは置き去りにされ、当事者不在のそしりは免れないのだった。

内なる差別



 構想策定の時期は延期され、2月3日から県障害者施策審議会に議論の場は移る。焦点は、公聴会で出た意見がどこまで反映されるかだ。やまゆり園入所者の意向を丁寧に確認しながら、時代に合わせて施設の在り方を問い直し、地域での生活を望む人の願いをどう実現させるのか。全国の障害当事者や支援者らが議論の行く末を注視している。

 知事の「心外」発言にこだわるのには、もう一つ理由がある。

 やまゆり園再建の議論を活発にたたかわせることこそが事件の風化を防ぎ、異なる価値観や考え方が出合うことで初めて共生社会への一歩を踏み出すことができると考えるからだ。「心外」発言は、対話の回路を閉じかねない強い言葉だった。

 試されているのは知事や県当局だけではない。神奈川の地で生きる私たち一人一人が問われている。

 さまざまな価値観がぶつかる社会の中で、共生の実現は簡単なことではない。議論を尽くしても折り合えないことはある。ただ、「共生」という美しい言葉の前で立ち止まってはならない。考えることをやめてしまっては、無関心を生み出しかねない。地域で暮らす私たちこそ出会いや対話が必要なのだ。

 思い浮かべてほしい。街中で障害者を見かけて目を背けたことはないか。哀れみを抱いたことはないか。電車の中で不自然な行動をしたり、急に大きな声を上げたりする障害者を不快に感じたことはないか。私自身、これまで全くなかったとは言い切れない。心の中に潜む差別感情は、凶行に走った容疑者だけのものではない。私たちの中にもあるはずだ。

 障害者大量殺傷事件の取材に取り組んでいるのには、個人的な思いもある。

 私は8年ほど前にうつ病と診断された。電話口で勤務先の名称と自分の名前を言う際に、相手が親しい人であっても吃音(きつおん)気味になってしまう異変が起きた。次第に何も言えなくなり、受話器を手に固まってしまうこともあった。取材先で相手に直接声を掛けようとしても、全く言葉が出てこないときもあった。

 「質問できない記者なんて、仕事にならない」

 思い悩み、半年余り休職した後、内勤業務に異動した。

 体調を整えて久しぶりに取材現場に復帰した昨秋以降も電話対応への不安は残ったままだ。言葉に詰まる理由は今もって分からない。そんな自分を受け入れないということは、吃音で苦しむ人を認めないことになるのではないか。障害を否定的に捉えれば、やがて差別に行き着く-。この理屈を頭で分かってはいても、「うまく話せないときがある」という自分の弱さと向き合うことは容易ではないと痛感している。

排斥の空気



 では、弱い自分がいけないのか。自分の心を強くすればよいのか。

 日本社会は少子高齢化で人口減に拍車が掛かる一方、グローバル化を背景に非正規雇用の割合は4割を超える。困窮世帯も増え、6人に1人の子どもが貧困状態に置かれている。生きづらさは増し、社会の閉塞(へいそく)感は強まるばかりだ。

 子どものころから「何かができる、できない」で振り分けられ、「社会の役に立つ、立たない」で値踏みされる。高齢者、生活保護受給者、引きこもりと、さまざまな事情で働けない人たちは生産性がない存在として非難の目にさらされるようになって久しい。バッシングはインターネット上のみならず、政治家の口からも語られる。第2、第3の事件が起きかねない空気を感じずにはいられない。

 現に神奈川では近年、

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