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民主主義考
時代の正体〈345〉砂川闘争は問う(下) 基地から考える憲法

時代の正体 神奈川新聞  2016年07月01日 10:44

砂川事件の最高裁判決を取り上げた学習交流会で、事件との関わりや思いを語った(左から)椎野さん、坂田和子さんら関係者=3月、川崎市総合自治会館
砂川事件の最高裁判決を取り上げた学習交流会で、事件との関わりや思いを語った(左から)椎野さん、坂田和子さんら関係者
=3月、川崎市総合自治会館

 畑の中でメジャーを手にする測量隊の前に農民たちが立ちふさがる。東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張反対闘争の現場で、元国鉄労働組合の椎野徳蔵さん(84)=茅ケ崎市=が目にした光景だった。「農家にとって畑は暮らしの基礎。その土地が奪われるなんて耐えられないこと」。自身も小田原の農家で育った。苦しみに共感し、闘争に加わった。

 1957年7月8日。基地内民有地の測量に抗議したデモ隊の一部が基地に入った。その1人として約2カ月半後、日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の容疑で逮捕、起訴された。

 59年3月、東京地裁の一審判決は日米両政府に衝撃を与えた。「駐留米軍は違憲」として、伊達秋雄裁判長は全員無罪を言い渡した。「法廷で振り返ると、傍聴席の仲間が総立ちで喜んでいた。土地の所有者が嫌がっているのに立ち退かせるのは、どう考えてもおかしい話だ」。当たり前の判決だと思った。

 約8カ月後、跳躍上告された最高裁で司法は態度を一変させた。最高裁長官でもあった田中耕太郎裁判長は、外国の軍隊が駐留しても憲法9条の「戦力」には該当しないとし、個別的、集団的を明示せず「わが国が存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使として当然」と指摘。さらに「日米安保条約のような高度の政治性を有するものが違憲かどうかは一見、極めて明白に違憲無効と判断されない限り、司法審査になじまない」として、一審判決を破棄した。地裁に差し戻され、罰金2千円の判決が確定した。

 統治行為論という名の判断の放棄。「そんなに甘くないと思い知った。当たり前のことでも通らないんだと。それでも、自分が納得する行動をしようと思ってやったことだった」。自らに言い聞かせるように椎野さんが力を込めた。

闘うわけ



 当時大学1年生だった島田清作さん(77)=立川市=も砂川闘争に参加していた1人だった。

 小学1年生だった1945年の夏、兵庫県西宮市で空襲に遭った。母と手をつないで逃げ、防空壕(ごう)で一夜を明かした。家の周りは焼け野原になった。「幼いながらに戦争の悲惨な記憶が刻み込まれた。戦争のための基地拡張は許せなかった」

 椎野さんらが逮捕されることになったあの日も先頭に立って抗議していた。2千人ほどの警官隊が立ちはだかり、有刺鉄線を巻いたバリケードで押してきた。当初は手袋もなく、素手で応戦した。

 自身は免れたが、一緒に基地に入ったほかの学生らは逮捕された。「誰かが捕まるなんて、思ってもいなかった」。大学を中退後、三多摩地区労働組合協議会の職員として最後まで闘争を支援し、その後は立川市議として基地の跡地利用にも関わった。

 半世紀以上前の砂川事件の最高裁判決が、集団的自衛権の行使を合憲とする根拠にされたことには驚いた。「まるっきり誤解で、悪用されている。当時は自衛隊ができたばかりで、米国の戦争を支援するなんて考えられていなかった」

 事件は再び注目を集めたが、伝えたいことはほかにもあった。土地を守った当時の農民らの行動は「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって保持しなければならない」とする憲法12条を実践していると思えた。「憲法に書いてあるから自由があるんじゃない。一つ一つの生活の中で自分たちが闘って守らねばならないのだと、闘争から学んだ」。そうした地元の歴史を残そうと、仲間と「砂川を記録する会」を結成。写真集や本を出版してきた。昨年開かれた闘争60周年集会には約1500人が集まった。

 若い人にも知ってほしいが、当時を知る自分たちの世代にもやるべきことがある。「これまで生きてきた社会の総括として、今の社会ときちんと向き合わないといけない。若い人頼みでなく、過去を知り、経験している私たちが声を上げなければ」。砂川闘争の成果を米軍横田基地(東京)や沖縄の米軍基地の反対運動にもつなげようと、各地で活動を続けている。

押しつけ



 砂川事件から約半世紀たった2008年、機密指定が解除された米公文書で、当時の最高裁長官と駐日米大使が密談していたことが発覚した。13年に見つかった米公文書でも、裁判の日程や見通しなどを漏らしていたことが分かった。

 椎野さんを含む当時の被告らは14年、東京地裁に再審請求した。椎野さんは「日本の司法はこうなんだ、と思われた。許してはいけない」と憤る。司法判断さえ米国の意のままなら、主権国家とは呼べない。

 同じく元被告として、元日本鋼管労働組合の坂田茂さんも再審請求に向けた準備に取りかかっていた。だが13年2月、83歳で急逝した。

 「私は父とずっと砂川事件のことを考えてきたわけではない。ただ、機会を与えられたと思っている」。川崎市立小学校教諭の長女和子さん(59)=川崎市高津区=は父の死後、再審請求に加わった。

 父が砂川事件の被告になったことは、小学校高学年で知った。「両親が政治や社会問題についてよく議論していたから、それほど違和感なく受け止めた」。事件で有罪となり、父は解雇を言い渡された。解雇撤回を求めた裁判が十数年続き、勝訴した時は高校生だった。「裁判だから勝つか負けるか分からない。生活は不安定だった」。一家の中で、事件は長く続いた。

 労働裁判が決着し、区切りがついたところで、司法の独立を揺るがす密談の事実が明るみに出た。「砂川事件でなければ見落としていたかもしれないが、新聞で読んで驚いた。司法の過ちで、公平じゃない。三権分立でもない」。元被告の仲間たちが父のために読んでくれた弔辞で、再審請求の準備中だと知った。参加を頼まれ、承諾した。

 教師として、学校でも基地問題について取り上げている。かつては日本全国に基地があったこと。今はなぜ、沖縄に集中しているかということ。「砂川で拡張できず横田基地に移転し、砂川に基地はなくなった。一方で沖縄の基地はどんどん増え、内地の基地は減っていった」。国土の0・6%にすぎない面積の沖縄に国内の米軍専用施設の74%が集中する。沖縄ならばいいのか。沖縄だからいいのか。

 「第2の基地県」とされる神奈川で1977年に起きた横浜米軍機墜落事故のことも教えている。「基地を抱えるとはこういうこと。子どもたちにも、沖縄の人たちがなぜあれほど反対しているかを考えてもらいたい」

 和子さんは、基地があること自体に憲法改正後の姿が垣間見えるようだと言う。憲法より日米安保条約が優先され、米軍による騒音被害、事件事故によって基本的人権が踏みにじられ続ける沖縄を見よ、と。「沖縄で起きていることは9条を変えた先に起きることと同じ。基地被害と米軍による事件事故は日本中に広まる」

 元被告らの再審請求は今年3月に棄却されたが、即時抗告している。「集団的自衛権の根拠ではない、というところからでも砂川事件に関心を持ってほしい。基地も安保条約もきちんと向き合わなくてはいけない問題。過去の話ではなく、今も闘っている人がいることを知ってほしい」

砂川事件最高裁判決と集団的自衛権行使容認の根拠 駐留米軍の合憲性が争われた砂川事件で最高裁は1959年、外国の軍隊が駐留しても憲法9条の「戦力」には該当しないと判断。その上で個別的、集団的の明示なく「わが国が存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然」と指摘した。これに対し自民党の高村正彦副総裁が、判決が認めた「自国の存立に必要な自衛のための措置」には集団的自衛権行使も含まれると主張。安倍晋三首相も同調したが、砂川事件の争点は駐留米軍の合憲性だったとして、野党や学者、公明党からも批判を受けた。政府は72年の政府見解を軸にして2014年7月、歴代政権が堅持してきた集団的自衛権行使を禁じる憲法解釈の変更を閣議決定。その後、安全保障関連法案の合憲性の根拠として再び砂川事件判決を持ち出した。


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