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自転車記者が行く・ソウルと愛と助っ人

話題 神奈川新聞  2016年06月17日 02:00

ブラッグスのメジャー時代のTシャツを手にする石川さん。ちなみに自転車でお酒は禁物ですが、店が支局の目の前なので押して帰りました=川崎区砂子2丁目のシュガーシャック
ブラッグスのメジャー時代のTシャツを手にする石川さん。ちなみに自転車でお酒は禁物ですが、店が支局の目の前なので押して帰りました=川崎区砂子2丁目のシュガーシャック

 ソウルミュージックが、ほの暗い店内を揺らす。レコードの束を見ながら、カクテルを傾ける。マスターが昔話をしてくれる。

 川崎区砂子のバー・シュガーシャックはもともと、横浜は本牧にあった。石川比呂哉さん(53)が、脱サラして1990年に始めた。「中学のころからソウルが大好きで。当時、DJが音楽を聴かせるバーも少なかったので」

 開店翌年だった。大柄の黒人がやってきた。「厚木かい? それとも横須賀?」。米軍人だと思った。逆に聞き返された。「マスターは大洋ホエールズを知っているかい?」。R・Jレイノルズという外国人選手だった。以来店は大洋、ベイスターズの歴代助っ人のたまり場になった。

 ファンに愛されたグレン・ブラッグスは奥さんがソウル歌手で、退団後もアメリカの家に招いてくれた。日本最高球速を記録したクルーンは「母の好きなソウルを録音してくれ」と、よくリストを作ってきた。阪神のオマリーやパチョレックら、他球団の選手も訪れるようになった。

 98年の夏の夜だった。「その日は阪神のメイ、リベラ、パウエルが来た。次の日も試合だから、テキーラをがんがん飲ませてね」。果たして翌日。延長十四回、リベラからローズがサヨナラ3ランを放った。

 ローズは同年の優勝時、チームのビールかけをすっぽかし、店に飲みに来た。数え切れない笑い話、ばか話。一方で、結果を残せずに去る選手とのハローグッバイも繰り返してきた。お疲れさまの乾杯も歓喜の一杯もやけ酒も、ソウルミュージックで包んできた。

 2009年、川崎に移転した。1万枚以上のレコードは、自らの歩みそのものだ。「一枚一枚ににおいがあって、思い出があるんです」。誰かの夜に、さりげなく寄り添う。取るに足らない日々に、音楽とお酒で彩りを加える。そしてなぜソウルなのかと問われれば、こう答える。愛を歌っているからだと。


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