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1995年ドラフト1位(逆指名)→西武→阪神→不動産仲介会社役員→同社員
ベイ戦士を訪ねて(5)細見和史 今もプロの不動産業者

ベイスターズ 神奈川新聞  2016年06月09日 09:58

不動産業界に転身して11年になる細見和史=川崎市川崎区
不動産業界に転身して11年になる細見和史=川崎市川崎区

 大型商業施設が集積し、多くの人でにぎわうJR川崎駅前。かつてベイスターズでローテーションの一角を担った細見和史が、このエリアに店を構える不動産仲介会社の支店で働いている。

 グループで来店客数が最も多いという同店で今春まで店長を務め、現在は賃貸物件の新規開拓や物件管理を担当するマネジャーだ。この業界で11年になるが、慣れるまでは大変だったようだ。

 「それまでプロ野球でちやほやされていたのに、お客さんを連れて、部屋の案内に行くんですからね。ぎこちなかったですねえ」

 32歳でユニホームを脱いだ際、知人に誘われて都内の不動産会社の神奈川でのグループ会社設立に出資したことが、転身のきっかけだった。

 「川崎担当の役員になったんですけど、野球しかやっていないから何も分からない。ツンとしていると思われたり、格好ばっかりでうわべだけでやっても、お客さんに見透かされましたね」

 業界の仕組みも分からず、頭を下げることへの抵抗感も大きかった。「だから、ほとんど仕事になりませんでした。このまま続けても10年先も同じだろうなと思って」。思い切って役員を退くことを決意し、グループ会社に転籍。一社員として仕事を覚える道を選択したのだという。

 だが、現場に出て現役時代さながらに仕事に打ち込んだものの、最初は空回りの連続だった。物件を案内しても、ほかの社員のようには契約に至らない。全力で部屋を探し、「絶対にいいですから」と薦めても選んでもらえない。そんなとき、上司から「君がやってるのは押し売りだよ」とアドバイスされたのが転機だった。

 そこから顧客をよく観察するようになった。「口では『家賃10万円で探している』と言っても、本心は7、8万円だったりするんです」。マウンドから打者心理を読んできた経験が生きた。成績が上がり始め、数年後には店長を任された。

Aクラス

 同志社大で18勝し、逆指名でドラフト1位入団したのが1995年秋。エースだった遠藤一彦の背番号24を受け継いだ。

 入団直後からチームは上昇気流に乗り、98年の優勝を挟んで97年から5年連続Aクラスという球団史上唯一の黄金期を迎えた。ヘルニアに苦しめられてきた右腕が、「今年結果を出さなければ終わり」と覚悟して臨んだ2000年の夏に、プロ初先発で初勝利を飾る。後半戦には野村弘樹、斎藤隆、小宮山悟、川村丈夫、三浦大輔というローテーションに割って入り、5勝をマークした。

 「ずっとAクラスで、あの頃は勝つことへの執着心が強かったし、負けた後のロッカールームの雰囲気はすごかった」。今も思い出すのはキャンプ中のシート打撃だ。マウンドから捕手の谷繁元信に向かってボールを2球続けて投げようものなら、遊撃・石井琢朗、一塁・佐伯貴弘、走者の波留敏夫から一斉に罵倒され、若手投手は震え上がったという。

 右腕が輝いたのはその年だけだったが、トレードなどで西武、阪神でもプレーした経験が引退後に外の世界へ踏み出すことを後押ししてくれた。「西武はキャンプ前にファンサービスのためのミーティングを開くようなしっかりした企業。(2軍暮らしだった)阪神は外様に厳しかったが、伝統球団のしきたりから学ぶものは多かった」

転身の秘訣


 日本野球機構(NPB)によると、15年に戦力外通告などで退団した127人のうち、野球関係以外で就職したり、自営業の道に進んだ元選手は24人にすぎない。それでも19%という割合は、10年以降の6年間で最も高いという。

 細見は、転身に成功した秘(ひ)訣(けつ)をこう語った。「まずは気持ち。僕も経験したけど、頭を下げることが難しいんです。そして経済的なギャップ。野球で年俸数千万は普通ですが、一般社会で600万円の給料をもらうためには、どれだけの売り上げが必要か」

 スーツ姿で働き始めてからの方が、「プロとは何か」とよく考えるようになったという。「今、普通の仕事をしていますが、野球の頃の僕を『すごいね』と皆言うんです。でも、今やっているのもプロの不動産業者なんですよ」

 10年余りを川崎の目覚ましい発展とともに歩んできた。しかし、その陰で近年気になるのは、家賃滞納や入居の初期費用を用意できない人や、近隣トラブルを避けるため外国人の入居を敬遠する大家が増えたことだ。そんな中で「お客さんと大家さん、われわれがみんなハッピーになれる仕事を」とプロとしての対応を模索している。

 球界からは遠く離れたものの、「何万人が一球に一喜一憂する素晴らしい世界だった」という野球への情熱は失っていない。現在の仕事に就いてからベイスターズのスカウト就任を打診され、心が揺れたこともあった。

 小中学生の息子2人もボーイズリーグなどで活躍している。「職業柄、土日は休めないんですが、何とか時間をつくって次世代の指導に関わりたい」。最近は、そんな夢も抱き始めているという。 =敬称略

ほそみ・かずし 京都・北嵯峨高3年夏に甲子園出場。同志社大を経て1995年のドラフト会議で逆指名の1位指名で横浜(現横浜DeNA)に入団。プロ初先発初勝利を飾った2000年に5勝。02年オフに西武にトレード、トライアウトを経て阪神に移籍した04年オフに戦力外通告を受ける。プロ9年間で通算56試合登板、5勝9敗、防御率4・42。台湾プロ野球でテストを受けるなどして05年春に引退した。不動産仲介会社に出資して役員を務めた後、グルー プ会社のCLC不動産コミュニティ(東京都中央区)に入社し、川崎店店長などを務める。京都府出身。43歳。

横浜時代の思い出は?



 やっぱり2000年のプロ初勝利ですね。1軍に上がってもなかなか登板機会がなかったが、前半戦の最後の試合がローテーションの谷間で、「絶対俺だろう」と準備していた。遠藤(一彦)コーチが緊張するからと気を使ってくれて当日に「細見、おまえな」と。6回無失点で、(監督の)権藤さんに「じゃあ、ご苦労さん」と言われて交代したときに緊張の糸が切れたというか、やっと交代と言われて、ほっとしました。やっとつかんだ1軍の先発。もう500パーセントの力でやっていた。


プロ初先発で初勝利を挙げ、お立ち台で涙を流した細見=2000年7月20日、横浜スタジアム
プロ初先発で初勝利を挙げ、お立ち台で涙を流した細見=2000年7月20日、横浜スタジアム

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