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マイクの先で選手見つめ
【ひとすじ】「ひと言」大事に42年(上) 元tvkアナウンサー森田浩康

社会 神奈川新聞  2017年01月29日 12:57

元tvkアナウンサーの森田さん。あらゆるスポーツを見て語ってきた
元tvkアナウンサーの森田さん。あらゆるスポーツを見て語ってきた

 スポーツを愛し、現場を愛したアナウンサーが昨年6月、マイクを置いた。

 プロ野球、高校野球、ラグビーなどの実況に携わること42年3カ月。天職だったかと問われれば、引退した今も答えは分からない。ただ、ひたすら仕事を全うしてきたと、元tvk(テレビ神奈川)の森田浩康は胸を張ってそう言える。

 横浜に居を移した横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の黎明(れいめい)期からその変遷を見つめ、夏には球児たちの熱戦を伝え、冬にはノーサイドの笛を迎えた双方のラガーマンたちをたたえた。

 その言葉はいつも選手とともにあった。

□ ■ □ 県立横須賀高校から中央大学文学部へ進み、「好きなオートバイに乗ってばかりで勉強しなかった」という青春時代を経て、いざ就職というときに頭を悩ませた。

 「筆記試験は苦手。アナウンサーなら実技でカバーできそう」。消去法で志願したが、もちろん現実はそう甘くない。テレビ局の採用試験に10社ほど立て続けに落ちた。

 実技でよく課せられたのは野球の実況だった。周囲の学生たちは東京六大学野球リーグが行われている神宮球場に足しげく通い、スタンドで練習を積んでから試験に臨んでいた。

 「今さら太刀打ちできない」と諦めかけたとき、耳に入ったのがラジオの競馬中継だった。録音し一字一句を紙に書き起こし、反復して体に染み込ませた。各馬をセントライトや、ハイセイコーなど一時代を築いた名馬に置き換え、独自の夢のレースをつくった。

 ある放送局の実技試験でチャンスがきた。試験官から3枚の写真が渡される。アイドル、平和台野球場、そして、小倉競馬場。選んだ1枚をテーマに2分間アナウンスする課題で取り上げる題材は当然、すぐに決まった。

 「好天に恵まれた小倉競馬場。いよいよドリームレースの幕が開けます…」。福岡市にある地方テレビ局、RKB毎日放送で、自身のアナウンサー人生の幕もまた開けた。

□ ■ □ 入社3年目の1976年から、当時福岡に本拠を置くプロ野球の太平洋クラブライオンズ(現西武ライオンズ)の中継を担当し、スポーツにのめり込んだ。78年のシーズン終了後にライオンズが埼玉へ移転。これを機に、森田はプロ野球の実況を求めて翌79年7月、横浜大洋ホエールズのある故郷のテレビ局、tvkに籍を移した。

 そこで待っていたのはあらゆる競技だった。

 野球だけでもプロ、社会人、大学、高校、中学、学童、さらには商店街対抗の大会もある。加えて、サッカー、ラグビー、競馬、競輪、県民ボウリング大会などなど。全てを見て語り、その合間も中継の準備を欠かさなかった。

 1日2時間、プロ野球の新聞記事の切り貼りは怠らず、対象がアマチュアであろうと事前に監督や選手らの話を聞き、データもかき集めた。手を抜かなかったのは、一つの出会いがあったからだ。

□ ■ □ 87年7月11日、36歳になり、中堅として忙しく働いていた森田は横浜スタジアムの放送席にいた。

 あいにくの曇り空で、正午の気温は30度まで上がらなかったが、きつい照り返しからグラウンド上は32度にも達していた。いよいよ高校野球の全国選手権神奈川大会が始まる。開会式の実況を任された森田も汗をかいていた。

 最激戦区と呼ばれる神奈川大会にはこの夏、全国最多の198校が出場。次々と入場行進してくる各校の横顔を紹介する時間は10秒ほどしかない。先輩アナウンサーでも難儀な仕事をやりきるため、山のような資料と取材から言葉を編み出して準備していた。

 そんな中、3800人もある球児の名から、ある一人の選手に目が留まった。

 清水ケ丘高校(現横浜清陵総合高校)の3年生、渋谷英司。春の県大会に部員13人の小所帯で挑み、16強入りして夏の第3シードを手にしていた。ただ、33人の部員がいた昨年夏の時点で、2年生の選手が渋谷だけだったことが気になった。

 「なぜ一人しかいないのか」。限られた時間の中で真相は分からなかった。思いを巡らせ、森田はメッセージとして至極シンプルな言葉を乗せた。

 「たった一人の3年生、渋谷君がキャプテンになりました。渋谷君、頑張ってください」

 会社に戻ると、渋谷の母から電話があったことを同僚から伝え聞いた。「あのひと言で親子の苦労が報われました。ありがとうございました」。電話の向こうは涙声だったという。森田はこのとき、「どんな時もひと言を大事に」という思いをさらに強くした。

 30年近くがたった今、渋谷は名古屋で営業マンとして働いている。練習の厳しさから仲間たちが次々と野球部を去り、同じ学年はマネジャーと2人だけとなっても白球を追いかけ、あの夏を迎えていたという。

 「苦しい時も、あのひと言を思い出して乗り越えられた。一生忘れません」。母が録画してくれた開会式の映像を何度も見返してきた渋谷は今でも、森田の言葉を思い出している。 =敬称略

 もりた・ひろやす 県立横須賀高校-中央大学を経て1974年に福岡県のテレビ局、RKB毎日放送に入社。79年にtvk(テレビ神奈川)へ移籍し、ラグビーやプロ野球など主にスポーツ中継の実況を担当した。報道制作局アナウンス部部長などを歴任し、2016年6月に退職。現在は神奈川大学人間科学部で「実践メディア論」の講師を務める。逗子市出身。相模原市南区在住。65歳。


最後のナイター実況を務めた昨年6月、放送後に解説者で元大洋の遠藤一彦氏(右)から花束を贈られる(森田さん提供)=横浜市中区の横浜スタジアム
最後のナイター実況を務めた昨年6月、放送後に解説者で元大洋の遠藤一彦氏(右)から花束を贈られる(森田さん提供)=横浜市中区の横浜スタジアム

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