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八幡暁が航く
命の現場 狩猟編(上)人にとって幸せとは

社会 神奈川新聞  2016年05月27日 12:13

猟銃を手にする服部文祥
猟銃を手にする服部文祥

 野生のシカの腹が割かれる。ぎっしりと詰まった臓器があらわになり湯気が上がる。手のひらで触れる。まだ鼓動が感じられるかのようだ。数分前まで穏やかな西日が降り注ぐ傾斜地を駆け回っていた。ケモノ独特の臭いが辺りに漂う。

 体重40キロ、2~3歳だろうか。立派なメス。一発の弾丸が喉元を突き破り、その命が目の前で確実に絶たれた。

 取り出された臓器が次々と雪面に置かれる。胃袋の中には細かくかみ砕かれたドングリや青草が詰まり、草いきれのような臭いがした。シカの瞳はまだしっとりと潤っている。

 2015年1月末、海洋冒険家の八幡暁(さとる)(41)は、編集者にして狩猟もこなす登山家の服部文祥(46)と、白銀が覆う山梨県北端の山域にいた。

 寒気が吹き込み、一帯は雪景色に包まれていた。粉雪交じりの突風が時折吹き付ける。

 二十歳のころ素潜り漁を覚え、世界の海を手こぎのカヤック一つで渡ってきた八幡は、単独無伴走航海で世界初の記録をいくつも有する。その“海の八幡”が初めて雪山に足を踏み入れた。シカを狩り、命をいただく現場をその目で見たかったからだ。

 白い息を吐き、服部の後を追う。一歩、一歩、備えた体力で、服部の速いペースに付いて行っていた。

 八幡は20年余りの海での経験で、普遍的な死生観を体感しようとしていた。

 「海は川とつながり、川は山へとつながる。そこに魚や動物、植物の命がある。その命もまた、他の生き物の命によってつながっている。その連続の中に、人もいる」

 乗り越えてきた荒波、命からがらたどり着いた岸辺。そうしてのぞいた死の淵。海から豊かな命を受け取り、生き延びてきた。

 都市生活に戻り、自問する。「人はみな食べ物を口にして生きている。言い換えれば日々、動植物を殺しながら生きながらえている」。その現実は都市生活者にとって、かけ離れたどこか遠くの別世界になってしまっている。命と生は乖離(かいり)し、それゆえ生の意味を実感しにくくなっているのではないか。

 肉や魚は、塊や切り身になってスーパーで売られている。その生体である牛や豚はみな生気に満ち、吠(ほ)え、うなり、衝動的に動く。命が奪われ、腹を割かれるときには、みな同じように臓器から湯気が立ち上がる。だが、人はそんな光景を想像しながら日々を暮らしてはいない。

 それでいい。毎日、生き物の死について正面から受け止め、一つ一つを思考しながら暮らすことなどできない。「だが」と八幡は問いかける。

 「経済合理性と安全を究極的に追求した結果、人は自然の中で生きているということを感じることなく日々を暮らせるようになった。安全で便利。汚れたり、けがをしたりすることもなく、空腹を満たし、眠りにつく。だが、その無意識の繰り返しは人の幸せにつながっているのだろうか」

 「命」の実感から距離を置き、別世界とすることで同時に「生」の実感さえも希薄になっていまいか。それは生きる意味への問いであり、つまり何に価値を見いだし生きるのか。言葉を置き換えれば、人にとって「幸せ」とは何であろうか、という問いでもある。

 八幡が抱いてきた懐疑は、体一つで突き詰めた「生」への問いかけによって確信となりつつあった。

 ヒト、モノ、カネが猛スピードで行き交い、その回転の速さこそが豊かさの指標となっている都市生活。結果、窮屈で息苦しい社会になっているように思えてならない。高速化し続ける回転の行き着く先はどこなのか。

 「人はいま、もう一度足元を見つめ直さなければ、究極的におかしくなってしまう」


雪原の山中を分け入る服部さん(右)と八幡さん(左)=山梨県
雪原の山中を分け入る服部さん(右)と八幡さん(左)=山梨県

 山梨県北端の山域。急斜面の雪面をあえぐようにして八幡は歩を進めていた。

 狩猟の同行を引き受けた服部は、かつてパキスタンのK2(標高8611メートル)を登頂し、国内でもいくつもの初登攀(とうはん)記録を持つ登山家だ。3キロはある猟銃を肩に掛け急峻(きゅうしゅん)なケモノ道を足早に登り詰めていった。

 雪山は初めての八幡だが、海で鍛えた体で食らいついた。日程は2泊3日。丸1日半でシカを仕留める計画だ。

 前日の夜、横浜を出発した車中で服部が、これから向かう猟場で前回シカを仕留めたときの衝撃的な話を明かした。

 2014年12月のこと。服部は単独狩猟の場合、電車とバスに乗って山域に入る。山梨県内にある狩り慣れた猟場近くの峠道でバスを降りると、発着場所の近くに、メスの子ジカが警戒心も乏しく立っていたという。

 普段から、観光客が投げ与えるパンでも食べているのか、慌てて逃げる風でもなかった。

 だが、対する服部はシカ狩りに来たのだ。子ジカにじわり詰め寄る。子ジカは柵がある方へと追い詰められていった。金網を背にし逃げ場を失った子ジカに服部がにじり寄る。

 「まず首の辺りに蹴り一発。そうしたら驚いたみたいで転んだ。後は一気に首の辺りを殴り続けた」

 野生のシカを撲殺。服部は続ける。

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