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西洋理髪発祥の地・横浜ザンギリ 伝統伝える心意気

横浜みなと新聞 神奈川新聞  2016年05月23日 13:30

横浜で140年以上続く「柴垣理容院」5代目店主の柴垣真太郎さん=横浜市中区
横浜で140年以上続く「柴垣理容院」5代目店主の柴垣真太郎さん=横浜市中区

 ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする-。山下公園(横浜市中区)の一角に、モアイ像のような石像がある。その名も「ザンギリ」。横浜が「西洋理髪発祥之地」であることを示した記念碑だ。140年以上の歴史を重ねてきた理容店もある。老舗の責任、職人の誇り、地域愛。時代の波にもまれながら、さまざまな心意気が伝統を支えている。

 ザンギリは高さ約2メートル、重さ約2トンの巨大な御影石を顔の形に彫ったもので、目の部分に「ZAN GIRI」、口の部分に「YOKOHAMA」と刻まれている。作者は木村賢太郎さん。県理容環境衛生同業組合が創立30周年記念として1989年に寄贈した。


山下公園内に建てられている「西洋理髪発祥之地」の記念碑「ザンギリ」
山下公園内に建てられている「西洋理髪発祥之地」の記念碑「ザンギリ」

山下公園内に建てられている「西洋理髪発祥之地」の記念碑のプレート
山下公園内に建てられている「西洋理髪発祥之地」の記念碑のプレート


 同組合や物の本などによると、1859年の開港後、ちょんまげを結っていた結髪師たちが外国船内ではさみの使い方を覚え、69年に外国人居留地(現・中華街付近)に西洋理髪店を開いたのが日本人散髪業の始まりとされる。71年に断髪令が出されたことで、結髪師が徐々に洋風の散髪業に転じたとみられる。

 そのころから脈々と受け継がれているのが、横浜市中区初音町にある「柴垣理容院」。5代目の柴垣真太郎さん(73)によると、創業者の柴垣栄吉が62年、中区住吉町に髪結い床を開き、69~71年ごろ散髪業に転じた。


2代目久太郎が建て替えた西洋風の「柴垣理髪館」の内装。理容いすをはじめ、調度品は全て豪華な輸入品だった
2代目久太郎が建て替えた西洋風の「柴垣理髪館」の内装。理容いすをはじめ、調度品は全て豪華な輸入品だった

 2代目の久太郎が店をアールデコ調の西洋風に建て替え、いすや鏡なども欧米からの輸入品に新調。「横浜に柴垣あり」と評判を呼んだが、関東大震災(1923年)や横浜大空襲(45年)で被災し、終戦後に連合国総司令部(GHQ)の命令で現在地に移転した。

 真太郎さんは4代目の義兄・幸三郎が戦死したため5代目を継ぎ、17歳で理容師に。3代目の父・浦太郎から英国人に学んだ技術をたたき込まれたといい、「本当に厳しかった。散髪中に疲れて腕が下がると、はさみで肘を突かれて血が出たこともあった」と苦笑いを浮かべた。

 「理容師になりたくなかったけれど、職業選択の自由はなかった」。しかし、理容師の妻・幸子さん(71)と結婚して子どもが生まれ、「自分の代では絶対につぶせない」と老舗主人の責任を自覚。56年の理容師人生を「発祥の地である横浜で店を守っていくことに、5代目の責任だけでなく歴史の重みもひしひしと感じている」と話す。

 地域に根差した同店の客層は20~90代と幅広く、中には4世代にわたり通い続ける家族も。常連客の髪のデータは全て記憶し、特に注文がなければ季節などを考慮してぴったりのヘアスタイルを提供。この道一筋の熟練の技が光る。

 県内の理容店舗数は店主の高齢化、後継者不足などにより84年の4488店(横浜市内1590店)をピークに現在は2379店(同876店)まで減少。さらに近年は低価格や早さが売りの店との競争が激化している。真太郎さんは「脅威ではあるけれども、私は『癒やしの理容室』で勝負していく」。

 他店に修業に出ている三男(40)が6代目を継ぐ予定。「次代に引き継ぐ役目はなんとか果たせそう」としながらも、「おやじは81歳で死ぬ4カ月前まで店に出ていた。おやじを超えるまで、はさみは置かない」と真太郎さん。「まだまだお客さんの喜ぶ顔が見たいからね」と笑った。


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