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時代の正体〈316〉法成立を前に(上) あることを尊び一歩を

時代の正体 神奈川新聞  2016年05月22日 12:29

子どもたちとプンムルノリを舞う崔さん(右) =川崎市立さくら小
子どもたちとプンムルノリを舞う崔さん(右) =川崎市立さくら小

 空を見上げた。初夏を思わせる陽光がまぶしい。そよ風が優しくほおをなでる。見渡す校庭に打ち鳴らされるチャンゴやプク、ソゴの音色が調和を奏で、子どもたちの顔が宝物のように輝いてみえた。

 21日、川崎市立さくら小学校(同市川崎区桜本)の運動会で在日コリアン3世、崔(チェ)江以子(カンイヂャ)(42)は朝鮮半島の伝統芸能、プンムルノリを子どもたちと一緒に舞った。

 「韓国でもこれほど大勢でやるプンムルノリはないんじゃないかな。1年生なんて、校舎に入るときは靴を脱ぎましょうとか、池に入ってはいけませんとか、学校のルールを教わっている最中の4月に全員が体験するんだから」

 さくら小が多文化共生教育の一つとして地域の交流施設、川崎市ふれあい館とつくりあげ、20年以上続く運動会の伝統行事は、そうして私もやりたい、僕もやると参加者が増えていき、ことしは総勢180人。日本人の子どもがいて、在日の子がいて、フィリピン人の子がいて、二つのルーツを持つダブルの子がいて、そこに校長以下、教員たちも加わる。

 ふれあい館の職員である崔はプンムルノリの先生役を毎年勤めてきた。ヘイトスピーチ解消法案が参院本会議で採決された13日も、可決の瞬間をスーツ姿で傍聴席から見届け、急ぎ川崎へ戻るとジャージーに着替えて子どもたちと汗を流した。「校庭で練習していると、近所のハルモニ(在日のおばあさん)たちが音に誘われ、手拍子で応援してくれたりして」

 そうして迎えた本番。「みんないい顔をしていた。踊りながら、ああ、私はこれが守りたかったんだと思った」

 誰かが誰かであることを大事にされるということは、自分が自分であることを大事にされるということだ。そうした肯定感がもたらす子どもたちの誇らしげな笑顔。 在日が多く暮らす桜本における差別との闘いは1970年代、民族名を呼び、名乗る運動に始まった。合言葉は、ありのままの自分を「誰もが力いっぱい生きるために」。やがて地域に増えていったニューカマーも含め、互いのルーツや文化の違いを豊かさとして認め合い、育む、共に生きる街づくりの実践としてプンムルノリは続けられてきた。

 「卒業生が練習を手伝いに来てくれて、親子2代で参加したという家庭も増えてきた」

 桜本で働き20年余、崔は心地よい汗をぬぐい、来し方に実感を重ねる。

 私たちはこうして共に生きている-。

 人種や民族の違いをもって攻撃をしてくるヘイトスピーチにはだから、抗(あらが)わなければならなかった。

決意



 決意表明はすでになされていた。16日夜、東京・霞ケ関の弁護士会館で開かれたシンポジウム。 「桜本は長い実践により本名、民族名を呼び、名乗るフィールドがほかの地域よりは一定整えられていますが、自分の名前を思い悩み、涙を流す子どもたちの姿があります。民族名で生きてきたのに15歳の春に名前を新しくつくる子どもたちが毎年います。高校進学で都内や県内に生活のフィールドを広げるとき、差別が怖いからと自己防衛で日本の名前をつくります。希望の春に絶望のスタートを切る子どもの姿があります」

 忖度(そんたく)なんかしない、と崔は震える声で投げ掛けた。

 「私や私たち家族はヘイトデモによって、朝鮮人が一人残らず出て行くまでじわじわと真綿で首を絞めてやる、死ね、殺せと直接言われている。きのうも今日も、明日も怖い。子どもを守れるか、怖い。安全な場所で研究し、インターネット上だけで正義を語る人は、この法案が不十分だからといって、なくて本当にいいと思っているのですか。不十分だから、ゼロでいいのですか。この法律自体が差別だというのなら、反対するだけでなく、改善する側に共にいてください」

 川崎・桜本をヘイトデモが襲ったのは昨年11月と今年1月。抗議のためわが子と沿道に飛び出し、国会や集会で法整備を求めて訴えてきた。

 思いが届き、成立目前となったへイトスピーチ解消法案だが、問題視する声が根強かった。法で保護する対象を法文上、「適法に暮らすもの」に限定しているいわゆる「適法居住要件」が理由の一つ。非正規滞在者や難民申請者への差別を許容しかねないとして「妥協してはならない」との意見が上がり、参議院本会議の採決では社民党なども反対票を投じた。

 崔は言わねばならなかった。

 「私たちの暮らしの現場には多様な人がいる。不安定な在留状況で暮らす人、家族が制度に退けられ、帰国しなければならなくなった人、そんな生活者と共に支え合い、暮らしている。対象が限定されていることは、私たちが一番実感を持って苦しい」

 だけれど、と深呼吸し、続けた。

 「だからこそ、私たちはこの法成立をはじめの一歩として大切に歩みます。歩みながら、この法でできることを追求し、より良いものになるように覚悟と決意を持っている。法律がないよりましだからと妥協はしていない。自分たちが助けられるからいいなんて思っていない。できないこと探しではなく、あることを尊び、できることを追求する。それがすべての人に向けられた、あらゆる差別の根絶への大切な一歩になると信じているから」

 重ねてきた桜本での歩みと、起き始めている変化への実感が、そう言わせたに違いなかった。

変化



 参院法務委員会での法案採決が1時間後に迫った12日午後、川崎市役所。「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」が集めた3万1千筆余の署名が市長の福田紀彦に手渡された。崔は福田の隣に座る代表の関田寛雄に「席を替わっていただいていいですか」と告げ、歩みいでた。「失礼かなと思ったけれど、後悔したくなかった。ちゃんと伝えるには近くで話さなければ、と」

 崔は福田の目を見据えた。

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