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正統を貫いた洋画家 原田直次郎展 15日まで近代美術館葉山

カルチャー 神奈川新聞  2016年05月02日 16:16

大作「騎龍観音」に見入る来場者=いずれも県立近代美術館葉山
大作「騎龍観音」に見入る来場者=いずれも県立近代美術館葉山

 近代日本洋画の普及に努めながら、36歳で亡くなった洋画家、原田直次郎(1863~99年)。その短くも凝縮された活動を振り返る「原田直次郎展 近代洋画・もうひとつの正統」が、県立近代美術館葉山(葉山町一色)で開催中だ。油彩画約30点と、森鴎外ら原田をめぐる人々を紹介する資料など総数200点以上が並ぶ。

 原田の名前に聞き覚えがなくても、作品に見覚えがある人は多いだろう。竜に乗った観音像を描いた大作「騎龍観音」や険しい顔をまっすぐこちらに向けた男を描いた「靴屋の親爺(おやじ)」は、必ずといっていいほど美術の教科書に掲載されている。

 原田は、幕末の江戸生まれ。西洋画を習得しようと高橋由一に師事した。1884年2月、横浜港からドイツ留学へ出航。実は同じ2月に、後に近代絵画の巨匠と呼ばれる黒田清輝も同港からパリへと出発している。原田は黒田より3歳年上。帰国後は留学組として華々しく活躍する黒田とは全く異なる道を歩むことになる。

 ミュンヘンの美術アカデミーでは、人体の写生をはじめ西洋画の伝統的な技法をきっちり学び、肖像画や風景画を残している。ここでは陸軍から派遣され留学していた森鴎外と出会い、終生の友人となる。

 原田は既に妻帯者だったが、下宿1階のカフェのウエートレスと一緒に暮らしており、鴎外はこれを非難していたという。だが、このいきさつが「舞姫」のモチーフになったとみる研究者もいる。

 鴎外の「うたかたの記」に登場する主人公、巨勢は原田がモデルだ。友人の画学生ユリウス・エクステルは実名で登場する。エクステルは原田の等身大肖像画を描いており(同展には参考図版を展示)、親しく交流していた様子がうかがえる。

 3年後に帰国するが、当時の日本画壇では西洋画排斥運動が激しかった。そんな中、西洋画のアカデミックな理念と技術を広めようと洋画団体を創立し、画塾を開くなど奮闘する。


モデルの内面性に迫る「靴屋の親爺」(左)が並ぶ一角
モデルの内面性に迫る「靴屋の親爺」(左)が並ぶ一角


 90年第3回内国勧業博覧会に、日本の伝統的な画題を洋画の技法で描いた意欲作「騎龍観音」を出品。現在は重要文化財の同作だが当時は理解されず、画壇論争を巻き起こす。このとき鴎外は、長文の反論を書いて原田を擁護した。

 93年には病に侵され始め、伏せることが多くなっていく。98年に療養のため横浜の子安に転地するが、翌年亡くなった。東京美術学校に西洋画科が設置されたのは96年で、指導に当たったのは黒田だった。

 鴎外が没後10年に1日限りの遺作展を開いて以来の回顧展となる。同館の三本松倫代学芸員は、原田は近代国家として発展する日本の西洋画はどうあるべきかとの大きな視点を持っていたという。黒田よりも「西洋画の正統は本当はこちらだったかもしれない。生で見ると緊密な画面が迫ってくる」と話す。

 同館ではコレクション展「明治の美術」を同時開催しており、原田展の展示スペースに入る前に、同時期に活躍した五姓田義松や黒田らの作品を見ることができる。

 「独学で油絵を学んだ世代から、本場で学んで帰国した人が新しい油絵を展開していったという全体的な流れを見ることができる。どれも貴重な絵ばかり」と橋秀文企画課長。

 洋画家を目指した明治の人々の熱意と奮闘ぶりが、両展から伝わる。

 15日まで。月曜休館。一般1200円、20歳未満と学生1050円、65歳以上600円、高校生100円。問い合わせは同館電話046(875)2800。


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