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野毛大道芸30年(上) 人を変え街を変えた

社会 神奈川新聞  2016年04月21日 09:37

1974年ごろの野毛・都橋周辺。この数年後から一時、野毛は衰退していくことになる
1974年ごろの野毛・都橋周辺。この数年後から一時、野毛は衰退していくことになる

 野毛大道芸が今年で30周年を迎える。例年10万人以上を集めるフェスティバルは23、24日がオンステージだ。始まりは1986年。今や横浜の名所として特に酔客に愛される野毛(横浜市中区)は当時、どん底にあった。「何かをやらないと、この街は死ぬ」。きっかけはバーのカウンター。飲んべえたちの思いつきは街を、そして大道芸という存在をも変えていった。

 いい加減で、良(い)い加減な街だ。

 桜木町駅を出る。観覧車と横浜ランドマークタワーが迎えるみなとみらい21(MM21)地区が表玄関なら、裏側に位置する野毛は無施錠の勝手口。少し雑多で汚いが、その分おおらかで優しい。

 今宵(こよい)も通りは、酔客の人いきれに包まれる。酔っぱらいのサラリーマンが、ツウの常連が、路地に吸い込まれていく。そして近年はとみに、麗しき女性の姿も増えた。

 「野毛大道芸が始まったころの30年前には、絶対に考えられない光景です」

 実行委員長を務める田井昌伸(60)は言い切る。創業58年目のとんかつ「パリ一(いち)」の2代目店主。野毛に育てられたはずの男は若い時分、どうも街を好きになれなかった。

 「飲むなら関内か山下町だった。なんでかって、簡単。野毛には女の子がいないから」。路傍では昼間から酔いどれが寝ている。盛り上がる一団があるかと思えば、サイコロと丼を使った賭博チンチロリンに興じている。「当時の野毛は、酔っぱらいとやくざとケンカの街でした」



 大道芸はこのした。30年を数える歩みはそれでも、路上の彼ら、そしてその背景を排除するのではなく、包み込むようにして重ねられてきた。

 そもそも、企画した男たち自身が飲んべえだった。例えば、演歌とジャズの店・パパジョンのカウンター。「80年代初期は野毛がどん底に落ちたころ。闇市に端を発した活気がなくなり、人もいなくなった。何かやらないとやばいなって話していた」。美術教師だった森直実(67)はこの街を遊び場として育ち、将来は地元の酔っぱらいになることを確信していた。

 80年、三菱重工業横浜造船所がMM21地区の開発に合わせて撤退した。港の労働者は、野毛のお得意様だった。3交代制の彼らがそれぞれの終業後に飲みに来るから、通りにはいつも人がいた。そんな上客が、潮が引くように姿を消した。

 周りを見渡せば横浜駅は開発が進み、元町は「ハマトラファッション」に象徴されるおしゃれな街になっていた。野毛だけが、取り残されていくようだった。

 飲みながら、ああでもない、こうでもない。まだ街づくりよりも、町おこしと言っていたころだった。行き着いたのが「露天画廊」という企画だった。通りで一斉に画家の絵を売る。それが85年。あまり、いや、全然振るわなかった。

 森が振り返る。「添え物としてやった大道芸には人垣ができた。この街は芸術じゃなくて、大道芸なんだなと」。翌86年、野毛大道芸が始まった。



 第1回に出演したパントマイムのヘルシー松田(64)は、よく覚えている。「見ているのは通りすがりのOLさんか、酔っぱらいくらい」。動員記録は3千人。それも「盛った」数字だった。

 だが森は、ある光景に確信に近い手応えを得た。

 「ホームレスのおじさんが申し訳なさそうに木の陰に隠れて、芸を見ているわけ。その顔が何とも言えない、天使みたいな優しい笑顔になっていた。あの時、この街で大道芸をやるのは間違っていないと思えた」

 たぶん、3年目あたりだった。ヘルシー松田のステージにも変化が表れた。「小学1年生の子どもたちが僕の出番を正座で待っていた。覚えてくれていたみたいで。あれは感動したなあ」。そして続けた。「そんな子や家族もいれば、『少なくて申し訳ないけど』って10円玉を握りしめて投げ銭してくれるホームレスの人もいるのよ」。それが、野毛大道芸だった。

 当時、街の青年部に属していた田井も流れに飲み込まれていった。「手伝ってくれよ」と頼ってきたのは父親と同世代の大先輩だった。「この街は誰も何もしようとしていないと思っていたけど、違った。大道芸が世代の違いもつなげてくれた」。野毛で飲むようになった。「この街、おもしれえじゃん」と。



 いまや日本の三大大道芸フェスティバルに数えられ、国内では2番目に長い歴史を誇る。海外から招待した数々のビッグネームを通じ、野毛の名は世界に広まっている。

 「野毛は、そこらへんにある商店街と変わりないはずだった。大道芸が一つ上のステージに持って行ってくれた。そのおかげで、街の人間としてプライドが持てた。俺の街、負けてないんだって」。田井は大道芸実行委員長のほかに、野毛飲食業協同組合理事長を筆頭に三つも地元の役職を請け負っている。

 大道芸だけが街を変えたわけではない。大道芸をきっかけとした人たちが、街を少しずつ変えてきた。人を呼び、楽しませ、うまい酒をあおりたい-。それは飲んべえたちによる、壮大な芸だった。

 =敬称略


1回目の野毛大道芸に参加したヘルシー松田さん。おどけた表情も若々しい=1986年(左)とバー・パパジョンの前に立つヘルシーさん。おどけ方もメイクも、30年分の年季が入っている
1回目の野毛大道芸に参加したヘルシー松田さん。おどけた表情も若々しい=1986年(左)とバー・パパジョンの前に立つヘルシーさん。おどけ方もメイクも、30年分の年季が入っている

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