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死力尽くし使命全う、横浜在住の語り部・居森さんが死去

社会 神奈川新聞  2016年04月07日 02:00

清子さんの遺影に「よく頑張った」と語り掛ける夫の公照さん=横浜市南区
清子さんの遺影に「よく頑張った」と語り掛ける夫の公照さん=横浜市南区

 広島の爆心地付近で被爆した体験を語り続けてきた横浜市南区の居森(いもり)清子(きよこ)さんが2日、死去した。享年82歳。「奇跡の生存者」とされ、戦争体験の伝承にとどまらず、使命を持って生きることの大切さを訴え続けた人生だった。「命ある限り、核兵器の恐ろしさと平和の尊さを伝えたい」-。度重なる大病と闘いながらも語り部として活動を続けてきた不屈の生きざまは、多くの人たちの胸に刻まれている。

 「最期まで使命を全うした。本当によく頑張った」

 52年に及ぶ歳月を共に歩んできた夫の公照(ひろてる)さん(80)は、震える声で遺影に語り掛けた。

 2年ほど前に肺炎を患い入退院を繰り返していた清子さんは、今年3月に体調を悪化させ市内の病院に入院。公照さんは「もう一度、一緒に自宅で過ごしたい」と願い、必死に看病を続けていた。しかし、回復の兆しはなく、亡くなる直前の数日間は意識もおぼろげに。呼吸も弱々しくなっていき、最期は眠るように息を引き取ったという。

 命のともしびが消えゆく瞬間、公照さんは確かに清子さんの思いを感じ取っていた。頬をさすりながら「ご苦労さん」と耳元でささやくと、かすかに口が動いた。ありがとう、と。こらえていた涙があふれた。

 清子さんは、広島の本川国民学校(現広島市立本川小学校)で11歳の時に被爆。校舎内とはいえ、爆心地から約400メートルしか離れていなかった。当時学校にいた数百人のうちただ1人生き永らえたが、両親と弟は帰らぬ人となった。

 その後、膵臓(すいぞう)や甲状腺など次々とがんを発症、7回の手術と入退院を繰り返してきた。被爆者の心身をむしばんできた放射能。その恐ろしさを自らの体で実証しようと、希望通り死亡後に解剖されたという。

 語り部として活動を始めたのは60歳近く。母校で講演したことが当時住んでいた横浜でも知られ、県内外から依頼が届いた。公照さんが原稿を執筆し、講演中に声が出なくなった時は代わりに話すことも。二人三脚で歩んだ講演は100回以上。昨夏、戦後70年の催しで、ビデオ映像で語った体験談が最後となった。

 「体が動かなくなっても口は動く。1人でも多くの人に語り継いでいくのが、奇跡的に助かった私の使命」

 清子さんが口癖のように話していた言葉をかみしめ、公照さんは「言葉通りの人生だった。きっと多くの人の心にメッセージは届いたと思う」。そして、原稿の一文に目を落とした。

 人間同士が殺し合う戦争はこの地球上からなくならなければいけないのです。生命ある限り、私自身の体験を通じて、戦争をしてはいけない事、特に核兵器がどんなに恐ろしいものであるかを、また、平和の尊さ、大切さを多くの人に訴え続けてゆきたいと願っています-。



 居森清子さんのお別れの会は10日正午から、宗教法人キリスト教横浜福音教会(横浜市南区中村町2の125の1)で営まれる。

 問い合わせは、同教会電話045(252)5937。


居森清子さん
居森清子さん

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