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ララ物資伝える“遺産” 横浜新港ふ頭 祖国思う日系人の軌跡

横浜みなと新聞 神奈川新聞  2016年04月04日 11:42

 横浜新港ふ頭の一角にひっそりとたたずむ記念碑。2001年4月、戦後の混乱期に多くの日本人を救った「ララ物資」の到着地に建立された。物資を保管した旧三井物産横浜支店倉庫(横浜市中区)が15年に解体された今、記念碑はララ物資を後世に伝える数少ない“遺産”だ。

 ララ物資は戦後、米国のアジア救済公認団体(LARA)を通じて日本に送られた支援物資。きっかけは祖国の困窮を知った米西海岸の日系人による募金活動だった。支援の輪は宗教団体や社会事業団体を中心に全米に広がり、中南米の日系社会にも拡大した。

 最初の物資が1946年に到着して以降、52年までに届けられたのはミルクや缶詰などの食料品をはじめ、衣類や医薬品など約1万6千トン(約400億円)。横浜を拠点に全国各地に配られ、当時の日本人の約6人に1人が恩恵を受け、学校給食の礎にもなった。


ララ物資の到着地に建立された記念碑=横浜市中区
ララ物資の到着地に建立された記念碑=横浜市中区


 「今の若い人たちはララ物資を知らない。受け取っていた高齢者も『米国からの贈り物』というイメージで捉え、日系人の功績は認知されていない」。海外移住資料館(横浜市中区)の小嶋茂さんが指摘する。

 小嶋さんが特に驚くのは日系人による支援の規模だ。2割を占め、現在の価値に換算すると約1200億円に上る。「戦時中は強制収容所に入れられて財産を失い、戦後はゼロからのスタートを強いられた。自身が生活するだけでも大変だったはずなのに、これほどの支援を行った」

 何が日系人を突き動かしたのか。小嶋さんは立役者の1人、浅野七之助さんの言葉に答えをみる。

 浅野さんは原敬元首相の書生を務めたジャーナリスト。戦前に渡米し、戦後はサンフランシスコで日本語新聞を創刊した。支援活動を積極的に報道し、中南米の日系人にも広める一方、「敵国だった日本を助けるのは好ましくない」という米世論の逆風の中、仲間とともに親日家の米国人に協力を求めて米政府の認可に道を開いた。ララ物資の生みの親ともいえる人物だ。

 「報道するだけでなく、自ら行動し続ける。信念を持ったジャーナリストだった」。元小学校校長の古屋達夫さん(88)=南足柄市=が浅野さんを評する。浅野さんの妻なかさんが古屋さんのおばだった縁で、夫婦で古屋さん宅を訪れていた。

 古屋さんが浅野さんとララ物資の関わりを意識したのは80年代半ば、雑誌に掲載されたノンフィクション作家の記事だった。「教え子たちとの給食に出された脱脂粉乳が浅野さんのおかげだったとは思いもしなかった」といい、以来、浅野さんの功績を調査。支援活動の原点は収容所時代の恩返しだったと解説する。


旧三井物産横浜支店倉庫が解体され、跡地につくられた駐車場=横浜市中区
旧三井物産横浜支店倉庫が解体され、跡地につくられた駐車場=横浜市中区


 「物資不足だった日本から、しょうゆやみそなどの慰問品が届いた時の感激を語っている。その温情を忘れず、今度は祖国支援に立ち上がった。多くの日系人も同じ思いだっただろう」

 日系人は世界に300万人超ともいわれ、世代を重ねてもなお、「日系人」というアイデンティティーを抱きしめている人は多い。

 「世界には、今の日本が失いつつある心を大切に持ち続けている人たちがいる」と小嶋さん。「人は誰かに助けられながら生きている。ララ物資に込められた日系人の思いを知ることは、生きる上で何が大切かを考えるきっかけになる」と強調する。


浅野七之助さんの功績を語る古屋達夫さん=南足柄市
浅野七之助さんの功績を語る古屋達夫さん=南足柄市

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