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ヘイトスピーチ考
時代の正体〈284〉現状認識欠く慎重論 桜本と国会(1)

時代の正体 神奈川新聞  2016年04月03日 10:31

意見陳述で原稿を読み上げる崔さん=3月22日
意見陳述で原稿を読み上げる崔さん=3月22日

 特定の人種、民族への差別をあおるヘイトスピーチを抑止する法整備の議論が国会で進んでいる。野党が提出した人種差別撤廃施策推進法案に対し自民、公明両党はヘイトスピーチに特化した抑止法案の検討を始めた。なぜ法制化が必要なのか、その答えを明瞭に浮かび上がらせたのが、参院法務委員会で先月22日に行われた意見陳述と参考人質疑だった。川崎・桜本から被害を訴えに立った崔江以子(チェ・カンイジャ)さん(42)の意見陳述の全文とともに振り返る。

 バスとJR、地下鉄を乗り継ぎ1時間ほどで着いた参院別館第22委員会室。濃紺のスーツ姿で席に着き、崔は胸の高鳴りを覚えていた。「国会にまで呼ばれ、話を聞いてもらえるなんて」。一方で「一体どんな質問をされるのだろう」と気が気ではなかった。

 左右と正面に居並ぶ法務委員会所属の議員18人を前に、崔はこの4カ月余りの出来事を思い返していた。絶望と希望が交錯したわが街、桜本での日々を-。

 川崎市臨海部の在日コリアン集住地域、桜本を目がけてヘイトデモが最初に計画されたのは昨年11月のことだった。「ゴキブリ朝鮮人を殺せ」と叫ぶ差別主義者の一団は今年1月、再び生活の場に迫った。

 いずれも抗議に立ち上がった人々が行く手を阻み、デモ隊は目前で引き返した。崔はもう二度と来ないよう市に「助けてください」と懇願した。返事は「根拠法がないため、できない」。生命の危険さえ覚える差別扇動も「朝鮮人」「在日」と不特定多数に向けられたものであれば、名誉毀損(きそん)罪、侮辱罪といった現行法を適用するのは難しい。だから新法は必要なのだった。

 傍聴席に「共に生きる街」をつくろうと苦楽をともにしてきた桜本の仲間たち、体を張って街を守ってくれたカウンターたちの顔を見つけ、崔は心強かった。地域の子どもの言葉をいま一度思い返した。

 「ルールがないなら、大人がちゃんとルールをつくってよ」

 約束を果たすのだと意を決し、崔はマイクを引き寄せた。

 「川崎市桜本から来ました崔江以子と申します。在日韓国人の3世です。日本人の夫と中学生と小学生の子どもがいます」

 談笑する姿も見受けられた議員たちの視線が向き、メモを取り始めるのが分かった。

薄い当事者意識



 最初に意見陳述を行ったのは与党が招いた参考人だった。

 野党の法案について大東文化大教授、浅野善治は「個人の権利が侵害され、社会に具体的な危険を生じさせる場合、公権力による規制が必要」との認識に立ちながら、表現の自由を萎縮させる恐れがあるとして「公権力行使の対象を明確に線引きすべきだ」と慎重な検討を求めた。

 浅野は「何が不当な差別なのか、社会が自由な議論をする中で対処を決定していくのが望ましい」とも述べた。現行法で対処がなされず、ほかに手だてがないから法制化が求められているのであり、野放しのヘイトスピーチへの恐怖から沈黙を強いられた被害当事者の表現の自由は損なわれ、自由な議論などできないという現状認識を欠いた空論といえた。

 上智大教授で米国の弁護士資格を持つスティーブン・ギブンズの陳述は、なぜそのような現状認識になるのか、という答えも示していた。米国憲法ではいかなる差別言動も権利として保障されていると指摘した上で、在日コリアンの殺害、排斥を唱えるデモをこう例えた。

 「私自身、道端で『在日特権を許さない市民の会』のうるさいデモを見ると嫌な気持ちになるし、街宣車もやめてほしいと思うことはしばしばある。不用品回収トラック、駅前での議員のメガホン演説、ニューアルバムの広告トラックを全面的に廃止できないかと思うこともあるが、残念ながら言論の自由の裏面には、聞きたくない情報も耳や目に入る不都合と不快さがある」

 多数者(マジョリティー)にとっては不都合、不快な悪罵も、少数者(マイノリティー)たる当事者には刃(やいば)となって胸をえぐるという被害認識の非対称性、それゆえの現状認識の薄さがここに表れていた。

民主主義の自壊


 崔の前に陳述した龍谷大法科大学院教授、金尚均(キム・サンギュン)は力説した。

 「人種差別は、社会において支配的なマジョリティーがマイノリティーに対して攻撃を行い、マイノリティーが人権の主体であり、社会の構成員であることを否定し、社会から排除するという人間の尊厳の侵害だ」

 日本は1995年に人種差別撤廃条約に加入しながら、条約に対応する国内法の整備を怠ってきた結果、差別は存在し続け、ヘイトスピーチという公然の差別がなされるに至ったとの認識を示し、金はこう結んだ。

 「人種差別を野放しする社会は一部の人々を不当に排除し、二級市民扱いし、人間であることを否定する。そうして多様性や差異を認めない社会となり果て、共生社会を否定する。日本社会の民主主義の自壊だということを忘れてはならない」

 順番を待つ崔の耳に、浅野とギブンズの陳述はほとんど入ってこなかった。「質疑で何を聞かれるのか、ずっと頭がいっぱいだったから」。それはまた、慎重論の前提があまりに現実とかけ離れているため、ただちに理解できなかった、ということに起因しているのかもしれなかった。

 続く質疑で、乖離(かいり)はより鮮明になる。 =敬称略

人種差別撤廃施策推進法案
 骨子は▽特定の人に対し、人種や民族を理由とする差別的な取り扱いや言動をしてはならない▽人種や民族が共通する不特定の人に対し、著しく不安や迷惑を与える目的で、公然と差別的言動をしてはならない▽国と自治体は差別防止施策を策定する▽国は差別実態を明らかにする調査を行う▽有識者でつくる審議会を内閣府に置く。昨年5月に民主(当時)、社民両党と無所属議員でつくる議員連盟が参院に提出し、今国会に継続審議となった。

崔さんの意見陳述その1



 川崎市桜本から来ました崔江以子と申します。在日韓国人の3世です。日本人の夫と中学生と小学生の子どもがいます。

 川崎市ふれあい館の職員をしています。ふれあい館は、乳幼児から高齢者までの幅広い方々が利用する施設です。日本人はもちろんですが、地域に暮らす外国人市民や外国につながる市民の利用もあり、共に生きる街の中で誰もが力いっぱい生きられるためにとスローガンを掲げ、市が掲げる多文化共生の街づくりにその役割を果たしています。

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