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意見陳述・参考人質疑
人種差別撤廃施策推進法案(上) 「表現の自由を萎縮」

社会 神奈川新聞  2016年03月22日 20:05

意見を述べた参考人4人
意見を述べた参考人4人

 参院法務委員会は22日、人種差別撤廃施策推進法案に関する参考人質疑を行った。同法案は昨年5月に民主、社民両党と無所属でつくる議員連盟が参院に提出し、今国会で継続審議となっている。計4人が意見陳述を行い、最初に学者と米国の弁護士2人が法案に対し「表現の自由を萎縮させる」「重要な政治社会問題に関して活発で率直な議論ができなくなる」などと慎重な立場から見解を述べた。

浅野善治(大東文化大大学院法務研究科教授)


 人種等を理由とする差別に対する基本的な考え方を明らかにしたいと思います。人種等を理由とした不当な差別は社会的に許されるべきではない。社会は厳然として対処していくべきだと考えます。今回はこうした差別撤廃のための施策として法律の制定を考えるということだが、社会には多様の価値観や多様な意見が存在します。多様な価値観、意見の中で議論を行い、社会が何が許されない不当な差別なのかを判断し、社会がその対処を決定していくのが望ましい姿だと思う。国や自治体がどういう役割をすべきかということだが、適切な判断ができるよう環境を整えていくという意味での関与が望ましい。環境を整えることで、社会の積極的な取り組みが促進されていく。こういう姿が望ましいと思っている。

 ただ、社会の中で不当な差別がある中で、具体的に発生してくる権利の侵害、社会に対する危険が発生していくとすれば、これを防止していくのも国とか地方自治体の重要な役割だと思う。

 法律を制定することの意義を述べたい。法律をなぜ制定しなければならないのか、ということだが、法律を制定しなければならない事項として、よく「法律事項」という言葉が使われます。法律事項というのは、法の機能と大きく関係します。法律には、法律しかできない機能というものがある。それは、国民の自由を制限してでも権利が一方的に実現できるということになる。法律は権力を適切にコントロールして、国民の自由を守るという意味を持っている。法律によって規制するべき場合、このような観点から慎重な検討がなされなければならない。


約2時間半にわたって行われた参院法務委員会の参考人質疑
約2時間半にわたって行われた参院法務委員会の参考人質疑

 今回の法律案だが、題名が「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律案」となっているが、もう少し言葉を補うと、「人種等を理由とする差別の公権力による撤廃のための施策の推進を定める法律」、つまり公権力の使い方を定めている法律と言えると思います。法律案の基盤としては、人種等を理由とする不当な差別を社会的に許されないということですが、この認識は私の基本的な考えとは異ならない。しかし、社会的に許されないということを実現していくために、何が「許されない不当な差別行為であるか」ということと、許されない不当な差別的行為に対して、どのような行政措置を取るかを判断していく必要があります。

 こういう判断を誰が、どのようにしていくのかということが重要だと考えています。不当な差別行為が何か、どういう行政措置を取っていくか、ということを公権力が裁量によって判断する方がいいのか、あるいは社会の自由な議論の中で判断していく方がいいのか、ということになります。

「公権力による裁量判断は適切ではない」


 今回のヘイトスピーチ規制という、憲法上、極めて重要な表現の自由、基本的人権の中核をなすような価値というものを制限する場合、公権力による裁量判断というのは適切なのではなく、社会の自由な議論によって規制されるものが判断されるというのが望ましいと思います。

 自由な権利であったとしても、公権力が何ら制限ができないというわけではない、と考えています。社会の自由な議論に任せておくと、個人の権利が侵害される、社会に対して具体的な危険を生じさせてしまう、というときには、公権力が制約を加えるということが必要だと思います。社会が自由に判断するということを制限してでも、確保しなければならない、個人の権利を保護するという価値や社会の危険から守るという価値があれば、公権力がそれを規制する、制約するという措置が求められると思う。

 表現の自由というのは、憲法の中で極めて重要で、基本的人権の中核的な価値を示す。公権力によってそこを規制していかなければいけないのか、慎重な検討が必要だと考えている。一体どのような害悪が発生しているか、具体的に検証して判断していくことが重要だと思います。具体的な検討なしにして、一般的、抽象的に規制を判断すれば、どういう場合に制約されるのかということを明確にできず、そういう制約を恐れて、表現することを恐れ、表現の自由というものを萎縮させてしまうと思います。

 法律で規制する場合ということでは、公権力の規制が必要かどうかという限界を確定させるということになるので、必ずしも規制する必要が高いとも言えないような場合についても、どこまでが公権力の規制の対象になるのかということを明確にして、どこまでかという明確な線引きをする、ということが必要になると思う。


参考人の意見を聞く議員ら
参考人の意見を聞く議員ら

 現行法でも、明確な要件をもとに、名誉毀損(きそん)罪、侮辱罪、威力妨害罪、脅迫罪、強要罪、そういった規制が定められていますし、民事的な解決を図る場合も、具体的な被害事実をきちんと事実認定をした上で、損害賠償などを求めているかと思います。そういった意味で、今回の防止する法律を制定するという場合、事前に公権力を行使すべき場合を一般的に類型化して、公権力の発動の要件を決めていく、という場合においては、具体的な権利侵害や社会の危険というものを十分に意識した、慎重な検討というものが不可欠で、その対象が法律の中に厳格に規定されているということが必要だと思う。

 今回の法案は、それがどこまでなのかというと、限界の範囲が必ずしも明確になっていないのではないかという懸念がある。「不当な」という表現が用いられているが、誰が、どのような基準で不当と判断するのか。具体的にどのような害悪が発生するのか、その害悪から何を守ろうとしているのか、何を対象に規制しなければならないのか。きちんと限定できているのだろうか。この観点からすると若干、不明確な点が多いのではないか。こういうこところが問題なのかなと思います。

 不当な差別を確実に防止するというようなことが基本原則で定められていて、公権力に主体的な責務をかすということになっているので、何を公権力にさせるのか、あるいは、公権力の発動の制限について法律案の審議の中で十分なご検討が必要になるのではないかと思います。

 現行法でも対処可能なさまざまな措置があります。こうした現行法の運用がまずもって重要ではないかと思います。人権教育、人権啓発も極めて有効になると思います。刑法の罪も含めて、さまざまな措置があるので、現行法では何が足りずに何に不都合が生じているのかということをまず、具体的な検討をすることが適切ではないか。いずれにせよ、新しい法律の制定を検討する場合、公権力をどのように発動させるのかとうい点を慎重に検討し、公権力の発動の限界をもっと明確に示すべきではないかと思う。

スティーブン・ギブンズ(外国法事務弁護士)



 米国出身ですが、人生の半分は日本に住んでいます。1982年にハーバードロースクールを卒業し、弁護士資格を取得しました。その後、ニューヨーク、東京で企業の国際取引を中心にやってきました。10年前から、日本のいくつかの大学で米国法を教えています。現在は、ジョージ大学の専任教授として、米国憲法全般、言論の自由を保障する米国憲法修正第1条などを教えています。

 今日は米国憲法、修正第1条の視点から日本のヘイトスピーチ法案について意見します。

 米国の歴史、米国の憲法の歴史は、人種差別と平等、言論の自由の理念と深くかかわっており、参考材料になると思います。

「国家が不適切な発言を処罰することできない」


 結論からいうと、ヘイトスピーチ法案を米国最高裁判所の判断に委ねることになったとしたら、米国憲法修正第1条に抵触して、違憲とするとされることは明確です。実際に、米国が人種差別撤廃条約に加盟したとき、一つの条件として、条約のヘイトスピーチ関連の条項を除外しました。米国憲法修正第1条の根本的な考え方は、国家が国民にいわゆる正しい思想や発言を押し付けること、逆に国家が不適切とする発言を禁じ、処罰することは憲法上できないというものです。

 いくら過激であっても、思想の表現、例えば、ナチス風にユダヤ人をやじるにしても、クー・クラックス・クラン(KKK)で十字架を燃やすことも、同性愛者が罪人であると叫ぶキリスト教原理主義者のパレードを行う権利は、すべて憲法上、保障されています。数多くの最高裁判決に見ることができます。もちろん、多くの人がこのような行いに対して、強い嫌悪を感じます。私自身も、「在日特権を許さない市民の会」のデモを見ると嫌な気持ちになりますし、街宣車もやめてほしいと思うこともしばしばあります。不用品回収トラック、議員のメガホン演説、騒音選挙カーを全面的に廃止できないと思うことはありますが、残念ながら、言論自由の裏側は、聞きたくない情報も耳に入る不都合があります。


参考人の意見を聞く議員ら
参考人の意見を聞く議員ら

 米国憲法第1条に抵触して違法と考えますが、今回の法案の問題点を述べます。条文には、あいまいな主観的な解釈によって、意味が大きく異なる文言が含まれています。「侮辱」というのは刑法で規定されていて、意義が明確されていると聞きますが、その他の嫌がらせ、迷惑、不当、差別的な言動が挙げられます。どのような発言、どこまで言っていいのかは極めて不明確です。重要な政治社会問題に関して、活発で率直な議論ができなくなることも、容易に想像できます。移民問題、慰安婦問題、教科書問題など率直な議論ができないと日本国民は大きく損をすると思います。

 この規定は救済を定めていないものだと理解しています。仮に条文にかかるような差別的な言論をしても警察も被害者も、法的には何もできないような結果になります。あいまいで率直な議論ができなくなることが問題ですが、救済のない禁止規定を設けることにどれだけ意味を持つのか、疑問を感じます。

=敬称略

人種差別撤廃施策推進法案 昨年5月に民主、社民両党と無所属議員でつくる議連が参院に提出し、今国会に継続審議となった。人種差別を撤廃する施策を定め、推進することを国、地方公共団体の責務として義務付け、現行法では対処できない不特定多数へのヘイトスピーチを禁じている。参院法務委員会での審議は4月にも再開される見込みで、議連会長の小川敏夫参院議員(民主)は「自民党はわが国には人種差別はないので基本法をつくる必要はないと主張する一方、ヘイトスピーチに特化した対策法をつくろうとも言っている。基本法が望ましいが、一歩譲ってヘイトスピーチ対策法であっても成立させたい」と話している。


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