1. ホーム
  2. 津波そのとき
  3. 津波そのとき~千葉・旭市はいま〈3〉 とにかく前を向く


津波そのとき~千葉・旭市はいま〈3〉 とにかく前を向く

フォロー・シェアボタン

神奈川新聞  2004年06月06日公開  

花が揺れる保険事務所跡地。防潮堤は高くなり、海は見えにくくなった =千葉県旭市下永井
花が揺れる保険事務所跡地。防潮堤は高くなり、海は見えにくくなった =千葉県旭市下永井

 吹き付ける潮風に黄色い菜の花が揺れる。地元の有志らが取り組む「花と緑で旭を元気にするプロジェクト」。花の数は多くはないものの、寂しくなった海辺の景観に彩りを添えている。すぐ横に立つ看板にはこうある。

 〈本事務所にて営業開始です〉
 千葉県旭市飯岡地区の海岸。花が植えられているのは、その場所が更地となったからだ。海岸線に沿って走る県道に面した「山本保険事務所」は津波で全壊。今は10キロ近く離れた内陸で営業を再開している。

 東日本大震災の直後、東京から駆け付け、高校までを過ごした古里の悲劇、そして両親が営む事務所の苦境を知った山本圭一(38)は程なく決断する。「飯岡に戻ろう」

 勤めていたIT関連の企業を2011年秋に退職。妻子とともに帰郷し、事務所の仕事を担っている。

 決意の背景となったいくつかの場面がある。腰まで海水に漬かりながら避難所にたどり着き、ズボンに泥が付いたままだった両親、消防団員として奮闘するかつての後輩、壊滅した街並み。ショックを受けると同時に、変わり果てたわがまちへの思いが募った。「復興の手伝いというか、そんなことができれば」

 幼いころ、目の前の浜辺が遊び場だった。近所には同世代の子どもがたくさんいた。「子どものころに見た花火大会の花火はすごく大きかった。やはり海を生かしていくしかない」。消防団員になり、青年会議所の一員にもなったいま、かつての風景を取り戻せないかと思いを巡らせる。

 しかし、さまざまな人と日々接していると、難しさも痛感する。「まちはもう立ち直れない。そんな諦めの声も耳にする」からだ。

 昨年末、母校の屋上に立ち、周囲を俯瞰(ふかん)した。津波で浸水し、今年1月に内陸へ移転した市立飯岡中学校の旧校舎。取り壊される前に企画されたお別れの見学会に級友と連れ立った。

 「震災がなければ、こうはならなかったのではないかと思うと寂しい」。解体工事は進むが、更地となった後の利用策は固まっていない。まち全体に閉塞(へいそく)感を感じつつ、思い直す。「ネガティブなイメージを払拭(ふっしょく)し、前に進みたい」

 もちろん、明るいニュースがないわけではない。昨年10月、内陸を走る国道のそばに道の駅がオープン。新鮮な魚介類や野菜を売り出し、客を引き寄せる。

 今年2月末の土曜日、近くの県立旭農業高校による卵の即売会があった。用意した60パックは1時間足らずで完売。出遅れた買い物客は「もうなくなっちゃったの」と残念がった。

 担当教諭らと販売に出向いた2年の長嶋光輝(17)も飯岡中の卒業生。小6だったあの日、津波から逃れるため祖母と一緒に公園へ避難、車の中で不安な一夜を明かした。自分なりに災後の5年を見つめ、思う。「将来は地元で働きたい」
=敬称略


シェアする