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近代遺構の一部を展示へ 横浜市新庁舎予定地から出土

カルチャー 神奈川新聞  2016年03月06日 02:00

横浜市の新市庁舎予定地で行われた発掘調査=同市中区、1月22日撮影
横浜市の新市庁舎予定地で行われた発掘調査=同市中区、1月22日撮影

 横浜市が、2020年の東京五輪までの完成を目指している新市庁舎予定地(同市中区本町6丁目)から出土した近代建築の遺構について、敷地内で展示を検討していることが分かった。貿易都市として急速な発展を遂げた明治期の横浜を代表する金融ビジネス街だったが、関東大震災で倒壊した状態で発掘されていた。3月末までに保存する候補を決め、展示方法を検討した上で新市庁舎の設計に盛り込む方針だ。

 予定地は敷地面積約1・3ヘクタールで、江戸後期から明治にかけて埋め立てられた。明治初めに国内の灯台を整備する灯台寮(海上保安庁の前身)が置かれた後、周辺には貿易商や両替商が続々と店を構えた。明治中期以降は銀行や運送業、旅館などが並び、黎明(れいめい)期の横浜経済を牽引(けんいん)した。

 昨年7月から市が行ってきた発掘調査では江戸後期に造られた大岡川の石積み護岸のほか、神奈川新聞社の前身、横浜貿易新報社の社屋2棟や横浜銀行集会所、原三渓が創設した原合名会社のアパートなど、建造物の基礎部分が広範囲で見つかった。

 建築の構造はれんが造りや鉄筋コンクリート造のほか、過渡期に採用された鉄筋ブロック造など。大量の写真乾板が見つかった木造倉庫もあったが、多くは震災で倒壊していた。

 市は試掘した結果、「遺構は基礎部分のみの断片的な構造物。事業計画の大規模な見直しを必要とする状況ではない」と判断。発掘調査は現状保存を前提とせず、測量や写真などの記録を残す「記録保存」を進めていた。

 昨年12月に行われた発掘調査見学会では約700人の市民らが訪れて高い関心を示していたこともあり、市は文化財行政を担う市教育委員会と協議を重ねた結果、遺構を全て埋めるのではなく、建物の周りに一部の遺構を移設・集約して展示する方針を固めた。

 市の新市庁舎整備担当は「低層階は広い敷地を使うことや地下駐車場を設けるためにも予定地を広い範囲で開発する必要がある。遺構の展示は当初の計画に盛り込んでいないが、今後のスケジュールに影響を及ぼさない範囲で実現に向けて検討していきたい」と話す。

 市教委生涯学習文化財課は「遺構は横浜の歴史を知ることができる生きた史料。遺構の展示は市内で前例があるため、敷地内外で展示できるようあらゆる可能性を探っていきたい」と話している。




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