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時代の正体〈268〉キャスターたちの会見(上) 暴走止めてこそ公平

時代の正体 神奈川新聞  2016年03月04日 11:57

 テレビの報道番組で活躍するキャスター、ジャーナリストが「私たちは驚き、怒っている」と声をそろえた。高市早苗総務相が放送法第4条違反を理由にテレビ局に「停波」を命じる可能性に言及した問題で声明を発表。会見では「ニュース23」(TBS系)のアンカーで、発言の政治的公平・公正をめぐって個人攻撃を受けた岸井成格(しげただ)さんもマイクを握り、「公平・公正という言葉にだまされてはいけない」と訴えた。

 「高市発言を聞き、驚きあきれた。放送法の精神、目的を知らないで発言しているのなら大臣失格。知っていて曲解しているのなら、言論統制に進みたいという意図があると思われても仕方がない」

 2月29日の会見で岸井さんはそう口火を切った。

 放送法の精神-。目的を記す第1条2号にはこうある。

 〈放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること〉
 干渉をするのは公権力の側なのだから、放送の不偏不党と自律を保障する主体は当然、公権力の側だ。高市氏は「政治的に公平であること」などとする第4条を停波の根拠とするが、法の趣旨や表現の自由を保障する憲法21条との整合性から、第4条は努力目標を掲げた倫理規定というのが定説だ。

 政治的中立性が求められる主客をひっくり返し、報道をコントロールしようという意図が、知らないはずのない解釈のねじ曲げにのぞく。できなかった集団的自衛権の行使を憲法解釈を180度変えることによってできるようにし、そうして自らに課せられた憲法のしばりを振りほどいてみせた安倍政権の暴走、倒錯がそこに重なる。


会見で見解を述べる岸井さん=2月29日、日本記者クラブ
会見で見解を述べる岸井さん=2月29日、日本記者クラブ

政治はうそをつく



 岸井さんは毎日新聞で特別論説委員、主筆を務め、政治の公平・公正とジャーナリズムの役割と向き合ってきた。

 「政治的公平性とは権力側が判断することではない。われわれメディアが気を付けないといけないのは、政治家、官僚は大事なことはしゃべらない、隠す、場合によってはうそをつくということだ。本当のことを知らせ、国民の知る権利に応える。それを公平と考える。政府、権力側の言うことだけを流していれば公平性を欠き、国民の知る権利を損なうことになる」

 さながら、会場に集まった取材の記者たちに向けたメッセージのよう。

 「公平・公正という言葉にみなだまされてしまう。公平・公正なのは当たり前で、正しいとみんな思ってしまう。でも、政治的公平・公正と一般の公平・公正とはまったく違う。権力は強くなればなるほど必ず腐敗し、暴走する。これは政治の鉄則。そうさせてはならないというのがジャーナリズムの鉄則。チェックをすることで暴走にブレーキをかけ、止める。これがジャーナリズムの公平・公正だ。それを忘れたジャーナリズムはジャーナリズムではない」

「低俗」な意見広告


 安全保障関連法案の国会審議が佳境を迎えていた昨年9月、岸井さんは番組で「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言した。これに対し、保守系の学者や評論家らでつくる「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」が「違法な報道を見逃しません」とする意見広告を産経新聞と読売新聞に掲載した。高市発言同様、根拠は放送法第4条。政権の暴走を下支えし、後押しさえする時代の空気が確かにある。

 「50年近く保守本流を取材してきたが、『1強多弱』『政高党低』の中、官邸に対してこれほど何も言えない自民党を見るのは初めてだ。聞けば、損をするから長いものに巻かれろということだ、と。これが日本人の一番悪いところ。それが政治の世界だけでなく、社会に広がってきているのではないか」

 主張をもう一度、繰り返した。

 「今回の安保法制は憲法に違反し、自衛隊のリスクが一気に高まり、戦後の憲法体制、安保法制を180度変えるもの。反対の声が多い中で強行採決することがいいことか。反対するのは当たり前。それを駄目と言ったらメディアは成り立たない」

 3月末でニュース23を降板するが、「私個人は圧力に屈したとは思っていない。交代は局の意向。今後はスペシャルコメンテーターとして報道、社会情報番組の枠を超えてコメントしていく」。

 自ら論を興してこそのジャーナリスト。意見広告への感想を聞かれ、答えた。

 「低俗だし、品性、知性のかけらもない。ひどいことをやる時代になった。このようなことをして恥ずかしくないのかと思う」

 ためにする批判をまっとうな意見であるかのようには扱うまい、「中立」「両論併記」という判断回避と沈黙には陥るまいという態度を、そうして示した。

声 明
 私たちは怒っている
-高市総務大臣の「電波停止」発言は憲法及び放送法の精神に反している
 今年の2月8日と9日、高市早苗総務大臣が、国会の衆議院予算委員会において、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性について言及した。誰が判断するのかについては、同月23日の答弁で「総務大臣が最終的に判断をするということになると存じます」と明言している。

 私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている。そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない。所管大臣の「判断」で電波停止などという行政処分が可能であるなどという認識は、「放送による表現の自由を確保すること」「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」をうたった放送法(第一条)の精神に著しく反するものである。さらには、放送法にうたわれている「放送による表現の自由」は、憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」の条文によって支えられているものだ。

 高市大臣が、処分のよりどころとする放送法第4条の規定は、多くのメディア法学者のあいだでは、放送事業者が自らを律する「倫理規定」とするのが通説である。また、放送法成立当時の経緯を少しでも研究すると、この法律が、戦争時の苦い経験を踏まえた放送番組への政府の干渉の排除、放送の自由独立の確保が強く企図されていたことがわかる。

 私たちは、テレビというメディアを通じて、日々のニュースや情報を市民に伝達し、その背景や意味について解説し、自由な議論を展開することによって、国民の「知る権利」に資することをめざしてきた。テレビ放送が開始されてから今年で64年になる。これまでも政治権力とメディアのあいだでは、さまざまな葛藤や介入・干渉があったことを肌身をもって経験してきた。

 現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく「息苦しさ」を増していないか。私たち自身もそれがなぜなのかを自らに問い続けている。「外から」の放送への介入・干渉によってもたらされた「息苦しさ」ならば跳ね返すこともできよう。だが、自主規制、忖度、萎縮が放送現場の「内部から」拡がることに

なっては、危機は一層深刻である。私たちが、今日ここに集い、意思表示をする理由の強い一端もそこにある。
〈呼びかけ人〉(五十音順 2月29日現在)
青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎


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