1. ホーム
  2. 社会
  3. 忘れまい〈3〉 車道にも人波あふれ 都内で帰宅困難者に

3・11 東日本大震災5年
忘れまい〈3〉 車道にも人波あふれ 都内で帰宅困難者に

社会 神奈川新聞  2016年02月23日 10:53

不通となった泉岳寺-品川間を歩く人波は車道にもあふれた =2011年3月12日午前8時55分ごろ
不通となった泉岳寺-品川間を歩く人波は車道にもあふれた =2011年3月12日午前8時55分ごろ

 東京・霞が関の国土交通省。記者会見場に緊急地震速報を知らせるスマホのアラームが一斉に響いた。大きな横揺れが続く中、気象庁担当の記者が廊下へ飛び出していく。

 土地を取引する際に指標となる公示地価について、国交省の担当者に取材している時だった。

 大津波警報が発表され、携帯のニュースなどで深刻な被害の状況が続々と入ってきた。「国土がこれほど大きく変わったケースを私は知らない」。土地鑑定の専門家が声を震わせた。

 本社がある横浜に戻ろうにも電車は動かない。途切れ途切れの携帯がどうにか本社に通じ、都内で取材するようにと指示を受けた。あてがあるわけではなかったが、大勢の人でにぎわう所へ向かおうと渋谷を目指して歩いた。大渋滞で車は動かず、歩道も人の流れが交錯していた。

 卒業式を終えたはかま姿の女子大生が歩道上に立ち尽くし、寒さに震えている。扉を閉ざしたビルが多い中、青山学院大が帰宅困難者を積極的に受け入れていたのが印象に残った。ようやく動きだした地下鉄に乗り、浅草の親戚宅に着いた時は深夜になっていた。

 翌朝、京急線で横浜に帰ろうとしたが、都営地下鉄浅草線の直通運転は中止され、泉岳寺から品川までは不通だった。道行く人の波は震災当日の渋谷よりも多く、第1京浜(国道15号)は車道にも歩行者が列をなした。ベビーカーを押す若い母親の姿もあった。

 混雑する品川駅は入場が制限されていたものの、大きな混乱はなかった。電車が「ドレミファソラー」と軽やかな音を立てて出発すると、すし詰めの車内にも安堵(あんど)感が漂った。黄金町駅で降り、自宅に戻れたのは昼すぎ。車内では乗客の誰もが不満や不安を口にせず、静かに過ごしていた。





シェアする