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旬漢〈12〉
いちむじんに さかいゆう

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

さかいゆうさん
さかいゆうさん

 18歳のとき、ミュージシャンを目指していた友人を交通事故で亡くした。胸に開いた大きな穴。友人の遺志を継ごうと、友人の影響で興味を持った音楽の道に踏み出した。

 シンガー・ソングライター、さかいゆう(36)を奮い立たせた友人への思い。頭の中で組み立てた思いを実現しようと、20歳のとき音楽の専門学校に進学するために上京。見聞を広めたいと、22歳のとき単身アメリカのロサンゼルスへと渡った。

 「弾き手のエネルギーが音になっている」。オルガンの音に魅せられたさかいは、演奏技術を盗もうと、弾き手の様子を間近で体感できるジャズバーに通い詰めた。「コーヒーを1杯だけ注文して聴いて、見て、学んだ」。その音を持って挑んだのが、路上での演奏。学生ビザで入国したため、アルバイトをすることが難しく、考えあぐねた末の決断だったが、たたいた鍵盤の音に返ってくるリアルな反応に、火がついた。


 実戦の中で鍛えた技術。「黒人が来たらブラックミュージックを。白人が足を止めたらビートルズを演奏して。1日20~30ドル、多いときは200ドル稼いだ日もあった」と修業時代を振り返った。

 開花したエンターテイナーとしての素質。2002年に帰国し、スタジオミュージシャンとして活動していたとき、その腕が音楽関係者の目に止まり、06年4月にインディーズデビュー。09年10月にシングル「ストーリー」で29歳のとき、プロ始動した。
 
 志をかなえるための原動力は「無力感だった」。マイナスをつまづきで終わらせない。カツオの一本釣りで生計を立てた漁師の父が持つ一本気な気質、頑固な父をおおらかに受け止める母の性格を受け継いださかいは、下を向かず懸命に鍵盤と、音楽と向き合い続けた。

 「音楽は僕にとって、そのときに生まれた感情を記録するもの」。絵描きが絵の中に思想をぶつけるのと同じように、音の中に思いを込めていった。
 
 3日にアルバム「4YU」を発売。留学していた01年9月11日、世界を震撼(しんかん)させたニューヨーク同時多発テロで感じた思いを、「SELFISH JUSTICE」につづった。

 「アメリカ中が、『JUSTICE(正義)』と叫ぶのを目にして、『危ない』と感じた。アメリカ人が『正義のために戦争を』と口にしているのを聞いたとき、自分が正義と思うことも戦う対象にとってその考えは正義ではなくなってしまうことに怖さを感じたんです。赤い色を見たとき、人は赤いと認識するけれど、正義は人によって違うから。そういうあいまいなものに違和感を覚えるんです。左右上下はいつも自分が基準。この思いを書き出すまでに15年かかった」

 読書家で、大好きなプロレス関連や養老孟司さんなど、移動の際はさまざまな活字に触れる。「養老さんが地元の近くに講演に来たときに話を聞く機会があって。そのときに、『正義』という言葉が苦手とお話しされていて、オレが感じている『違和感』を同じように感じる人がいるんだと驚いて、書かれたものを夢中で読みました。『いいね』と共感するより、『違和感』でうなずける方が、芯の部分で分かり合えると感じます」

 
 ソウル、ジャズ、ヒップホップ、ゴスペルなど本場で触れたさまざまな音楽が、栄養となり生み出される音は、五線譜の中を自在に泳いでいく。指をバチのようにしならせ、鍵盤をはじき、楽器を踊らせる。教科書ではなく、心が動いた音楽を体で身につけ、それを表現してきた。手にした力は、聴き手の心を一音で弾ませる。

 「演奏も瞬発力が大事。瞬発力は小学生のとき、地元で盛んだった相撲で養いました。小さい身体をカバーするために、相手よりも速くしかけることが大事だった。泳ぐのも得意。ライブでは、お客さんにリラックスして音楽を楽しんでほしいから、側転を披露したこともあるんです」

 夢は「僕専用のピアノを作ってもらって、ネパールの奥地とかに逃亡して曲作りに没頭すること。2年ぐらいいかれたら良いな」と笑った。

さかい・ゆう。1979年9月20日、高知県土佐清水市生まれ。2009年10月、29歳のときに、シングル「ストーリー」でメジャーデビューした。最新アルバムでは、武井壮のために書き下ろした「SO RUN」など11曲を収録。初回限定盤は、カバーコレクションと合わせた2枚組で、MISIAの「包み込むように」、民謡「よさこい鳴子踊り」など10曲入り。







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