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惜別の声 米フォード、撤退

経済 神奈川新聞  2016年01月31日 02:00

かつてフォードの製造工場があった地は、現在はマツダの研究開発拠点になっている=横浜市神奈川区
かつてフォードの製造工場があった地は、現在はマツダの研究開発拠点になっている=横浜市神奈川区

 米自動車三大大手「ビッグ・スリー」の一角で、日本市場からの年内撤退を明らかにしたフォード・モーター。同社が大正期の1920年代、生産拠点として日本進出の地に選んだのは横浜市だった。同社が自動車産業や県内経済に与えた影響は大きく、名門メーカーの撤退に、しのぶ声や惜しむ声が多く上がっている。

 「青天の霹靂(へきれき)」

 そう語るのは、県内でフォードを扱う販売店店長の男性(50)。撤退の報道が出た25日は昼すぎに会社から撤退を知らされ「言葉を失った」と話す。その後、心配するユーザーの反応は多く届くが、納車前の客からは「このまま買うから納車してくれよ」と激励もあった。「フォードが愛されていたことがあらためて分かった」と店長。

 販売歴28年の自身、ユーザーでもあった。ステーションワゴンの「モンデオ・ワゴン」、SUVの「クーガ」などを乗り継いできたといい「フォードに乗っている誇りと大きな愛着があった。公私ともに寂しい気持ちは当然大きい」。

 フォードと県内とのゆかりは深い。1979年から昨年まで資本提携関係にあったマツダの研究開発拠点「マツダR&Dセンター横浜」(横浜市神奈川区)は、フォードの工場だった場所に立地する。

 同工場では、海外から輸入した主要部品を組み立てて車を大量生産した。こうした生産手法はノックダウン生産と呼ばれ、当時は画期的。日本で「T型フォード」の名で親しまれた名車「フォード・モデルT」などが生産され、市場を席巻した。

 ハイヤー・タクシーの神奈川都市交通(西区)の社史には23年の関東大震災からの復興の記述として25年夏ごろの描写がある。「営業で使っていたクルマ30台余りのうち、多くがフォード車だったことが記されている」と担当者。フォード車は工場の建設以前から横浜港などに輸入されており“メード・イン・神奈川”かは判然としないが、担当者は「大正年間の横浜市街地をフォードが走っていたという(歴史の場面があった)のは確かでしょう」。

 フォードが日本の自動車メーカーに与えた影響は大きい。米国視察したトヨタ自動車の創業者、故豊田喜一郎は米国車に対抗できる国産乗用車を造ることを決意したといわれ、マツダは旧・東洋工業時代から長年、フォードを筆頭株主として製販事業で歩みをともにした。県西の自動車部品メーカーの技術者は「フォードといえば大きなクルマ、米国車の象徴。次代のフォード車の進化も見ていたかった」と感慨深げだった。

 フォード・モーター広報担当者は今後の顧客対応について「当面、ディーラーでサービスが受けられるほか、撤退後も態勢は決まっていないが部品交換や保障サービスを継続する」と説明。ただ「購入については正規の輸入販売ルートがなくなるため難しくなるのでは」とした。

◆販売網の維持困難
 フォード・モーターの日本市場撤退について、米国に本拠を置く世界的な市場調査会社「フロスト&サリバン」の日本法人で、自動車担当の森本尚シニアコンサルタントに聞いた。

 フォード車は身近な輸入車としての存在意義は十分にあった。だが、現時点での日本国内での市場シェアは低く、正規ディーラーなどの販売網を維持していくのは困難と今回の撤退を判断したとみられる。フォードにとってのアジアにおける最重要市場は中国であり、日本からアジア全体にブランドを波及させるという効果も薄れてきたのではないか。

 昨年に大筋合意された環太平洋連携協定(TPP)においても、(事前に推測が広がっていた)日本市場における軽自動車セグメントの撤廃などはなく、海外メーカーの恩恵が望めなくなったことも判断に影響したと思う。

 フォードはマツダとの取り組みを通じ、ブランド構築の重要性やデザイン重視、プラットフォームの共有・統合といった技術活動など、日本の自動車産業に一定の影響を与えた功績があるといえる。

 今後のフォードだが、2020年にグローバルで940万台を販売する計画を立てている。そのためには売り上げベースで年平均で6・9%増の成長が必要。けん引する中心はアジア市場であり、やはり中国に焦点を当てていくことになるとみられる。


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