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根岸 馬が駆けた地 開港期に伝来 初開催から150年

横浜みなと新聞 神奈川新聞  2017年01月16日 14:50

馬の博物館に併設するポニーセンターでは、引退した競走馬に乗馬できる日もある
馬の博物館に併設するポニーセンターでは、引退した競走馬に乗馬できる日もある

 横浜に来た居留外国人からもたらされたスポーツの一つ、洋式競馬。ちょうど150年前の1867年1月11日には、国内初の本格的な洋式競馬場「根岸競馬場」(現根岸森林公園、横浜市中区)で初競馬が催された。戦前は国内競馬の中心的な役割を果たした同競馬場。現在は公園や馬の博物館などに生まれ変わり、遺産が往時を伝える。

 洋式競馬の発祥年や開催場所は諸説あったが、「1860年、現在の元町商店街一帯」が定説になった。同博物館上席学芸員の日高嘉継さん(49)が見いだした米国人実業家の日記が根拠になっている。

 根岸競馬場(後の横浜競馬場)は1866年に建てられた。開港当時は外国人殺傷事件が相次いだこともあり、当初予定の横浜新田背後の沼地(同区)から変更された。日高さんは「外国人の安全確保を図る上でも東海道から離れた丘の上が望ましいとされた」と説明する。

 馬券が販売され、日本人も多く来場し盛り上がったが、レジャーだけで成立していたわけではないという。明治天皇をはじめ、政府首脳も訪れた。日高さんは「不平等条約を改正するため、欧米の有力者が集う競馬場は社交場となっていた」と明かす。

 馬の博物館は昨夏、開設150周年を記念し特別展を開いた。馬主でもあった菊池寛や横浜生まれの吉川英治の説明文が並ぶなか、横浜で創業した商社「エス・アイザックス商会」(東京都墨田区)の史料もあった。

 2代目社長は最高責任者として根岸競馬場を主導したシグマンド・アイザックス。太平洋戦争が始まり、会社とアイザックスの全資産は敵国財産として没収された。元役員の小倉金蔵氏が「せめて、社名だけでも継承するのが敬意の証し」と日本法人を設立。特別展に足を運んだ4代目の前社長、長男の忍さん(77)は「自分の会社が脈々と続いていることに誇りを感じた」と感慨深げだった。

 馬場や場内に設けられていた日本初の芝グリーンゴルフ場などは現存しないが、数少ない往時の遺産の一つが「一等馬見所(うまみしょ)(スタンド)」だ。

 1923年の関東大震災で木造3階建ては半壊。再建に向け、アイザックスが格調高く、左右のコーナーを見渡せる馬見所を提案。彼の友人でもあり山手の洋館などを手掛けたJ・H・モーガンが設計し、29年に完成した。

 競馬場はスタンドから軍港が一望できるため海軍に接収され、43年に競馬場としての幕を閉じる。隣は今でも米軍施設だが、スタンドを中心とする接収は81年に解除された。2009年には経済産業省が跡地を「近代化文化遺産」に指定。15年には認定NPO法人引退馬協会などが、「社交の場でもあった競馬の歴史が残る貴重な場所」とし、市に文化財として保存活用する要望書を提出した。

 馬の博物館は常設展や企画展で馬文化にまつわる発信を続けるほか、隣接するポニーセンターでは馬と触れ合うこともできる。第3コーナー付近にある馬頭観音は1900年建立。毎年初午の日に関係者が式典を行っている。


上空から見た根岸森林公園(中央)。公園外側には当時の競馬場コース跡が残る=2015年9月撮影、馬の博物館所蔵
上空から見た根岸森林公園(中央)。公園外側には当時の競馬場コース跡が残る=2015年9月撮影、馬の博物館所蔵

現在も残る旧根岸競馬場の一等馬見所=横浜市中区
現在も残る旧根岸競馬場の一等馬見所=横浜市中区

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