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記者会見(下)
時代の正体〈247〉ヘイトスピーチ考(下) 再び問う「共に生きる」

時代の正体 神奈川新聞  2016年01月23日 10:37

昨年11月に行われた差別デモへの抗議のため沿道に掲げられたプラカード=川崎市川崎区
昨年11月に行われた差別デモへの抗議のため沿道に掲げられたプラカード=川崎市川崎区

 野放しのヘイトスピーチ(差別扇動表現)の対策を川崎市と市議会に求めていく「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」の結成を発表する記者会見の席上、「ヘイトスピーチには表現の自由は適用されないと考えているということでよいか」と念押しした記者はこうも聞いた。

 「カウンターの側の抗議の言い方が、それはそれでヘイトスピーチではないかと言われている。レイシスト(差別主義者)と呼ぶことが許されるのか、という意見がネットの社会の中で一定の支持を得ているのが現実だと思うが、どんな表現を心掛けていくべきと考えるか」

 裵(ペェ)平舜(ピョンスン)さん(41)は黙っていられなかった。

 「ヘイトスピーチは対等な立場でのやり取りではない。だから声を荒らげなければならなかった。差別する側と同じ言葉を同じトーンで使っているというが、言い返すこちらにそうした感情を引き起こしたのは誰なのか、きちんと踏まえてほしい」

 そもそも質問は自身に向けられたものではなかった。差別デモの現場に駆け付け「差別をやめろ」「レイシストは帰れ」と抗議の声を上げるカウンターの人たちのほとんどが日本人だ。「たたき出せ」「殺せ」と叫ぶ一団に当事者は近づくことさえ難しい。

 それでも言わずにいられなかったのは、差別する側も抗議する側も「どっちもどっち」とみなす物言いにこそ、差別を放置してやまない無理解が潜んでいると思えるからだ。

 「声を荒らげなければ私たちが生きていく環境を守れなかった。そうしなければ在日が生きていけない社会をつくったのは誰なのかということを考えてほしい。決して、売り言葉に買い言葉でけんかをしているわけじゃない。肩に力を入れて生きていかなければならない時代があって、それはいまなお続いている」

 傍らで父、裵(ペェ)重度(ジュンド)さん(72)が顔の前で手を組んだまま、遠い目になって娘の話を聞いていた。どっちもどっち、売り言葉に買い言葉、つまり言い返す方も悪い、だから黙っていろ、嫌なら帰れ、という倒錯は、嫌というほど味わってきた不条理であった。

責任

 在日コリアンが多く住む街として知られる川崎区桜本で生まれ育った平舜さんは言う。「両親そろって拳を振り上げる、ちょっと一般的ではない家庭で育ってきた」

 この日、市民ネットワークの呼び掛け団体の一つ、社会福祉法人青丘社理事長の立場で会見に同席していた父重度さんは、この地域で民族差別と闘う運動の先頭に立ってきた。

 保育士として働き、在日だけでなくフィリピン人や中国人も増えていく地域にあって平舜さんの「子どもたちには違いは豊かさだと伝えてきた」という信念は両親の背中に教わってきたものだ。

 「でも強くなりたくてなったわけじゃない」。父も、亡き母、鄭(チョン)月順(ウォルスン)さんもきっとそう。「名前のことでいじめられ、学校へ行きたくないという娘にランドセルを背負わせ、学校へ行かせないといけない母親がいて、そうして学校でいじめに立ち向かわなければならない自分がいた」

 4歳と2歳の息子を持つ母になったいま、その意味がより深く理解できるようになった。

 在日2世の両親や自分がそうであったように、子どもたちもこの地域で生まれ育ち、出会い、学び働き、恋をし、家庭を持ち、子どもを育て、生きてゆく。

 そうであるなら、次なる世代のため、社会を変える責任が、その一員としてある。同化か排除を迫る空気がありのままを生きることを許さないのなら、自らが多様な一人であり、豊かなるさまを示し、それはこの社会をも豊かにしていくのだということを示すしかない。だから差別を恐れ、自分が何者であるのかを隠すのではなく、在日として生きる。そうして歯を食いしばってきた。

 例えば1980年代、外国人登録証への指紋押なつ拒否運動が問うたものは何であったか。

 小学生だった平舜さんは父が先導するデモに参加したことを覚えている。在日を治安の対象とみなし監視し、管理する指紋押なつ制度。その運動が拒否したものは日本社会そのものではなく、法の不条理だった。

 役所の窓口で職員に「ここに指紋を」と促され、聞き返す。

 「日本人は押しますか」

 「いいえ」

 「では私も押しません」

 拒否ではなく、同じ社会への参加を求めるための運動。

 「これは共に生きようという日本社会へのラブコールだ」

 それが合言葉だった。

背中


  そしていま、再び問わねばならない。この社会に私たち在日の姿は見えているか、向き合おうとしているか-。

 「どっちもどっち」という、それでは共感は得られまいというたしなめるような、それでいて自らは遠巻きに眺めているだけの人ごとのような響き。共に生きようと投げられたボールからひょいと身をかわすような態度。確かに差別はあからさまな言葉によるものだけではなかった。

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