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駅長・小川博幸さん(60)
縁のものがたり@赤い電車に魅せられて 

社会 神奈川新聞  2016年01月05日 09:51

生まれ故郷の川崎大師駅で鉄道マンとしての最後を迎える小川駅長
生まれ故郷の川崎大師駅で鉄道マンとしての最後を迎える小川駅長

 赤い電車が好きだった。

 母に手を引かれ、運転席をのぞき込んだ。いくら見ていても、あきなかった。

 「当時は運転席と客席の間には低い仕切りがあるだけで、背中がすぐそこにあった。『出発進行!』って声が車内に響くんです。かっこよかったなあ」

 でもその電車は、すぐに終点に着いてしまう。川崎市内を走る京急電鉄の大師線は、今も延長がたった4・5キロしかないからだ。

 川崎大師駅の小川博幸駅長(60)は、駅近くで生まれ育った。幼稚園も小中学校もすぐそば。高校も大師線で京急川崎駅まで通った。「いつからなんて覚えていないくらい、ずっと京急の運転士になりたいと思っていた」。高校卒業を控え、就職試験はここしか受けなかった。

 定年退職を目前に控えた2年前、会社から「最後はふるさとの駅長でどうですか」と提案を受けた。「寅さんの浅草じゃないけど、ここは昔ながらの下町で、あったかい街。故郷に錦を飾るじゃないけど、うれしかったなあ」。最高の終着駅を用意してもらった。


 鉄道マンとしての人生は、空港線穴守稲荷駅(東京都大田区)の駅員として始まった。当時は有人改札だった。毎朝毎夜、利用者を見送った。「毎日顔を合わせるもんだから、お互いに何となく覚えていくんですよ」。よく見る小学生の女の子がいた。塾通いでもしていたのか、夕方に電車に乗り、夜に帰って来た。

 「気をつけて帰るんだよ」。恥ずかしげな笑みが返ってきたように思う。


 2年後、21歳で車掌になった。そのさらに2年後だった。

 ある日、空港線の車内でこちらをじっと見つめる視線に気づいた。

 「あー!」

 あの少女だった。可憐(かれん)な高校生になっていた。「今おれ、車掌をやっているんだ」。相手もどこかうれしそうだった。これはと、おずおず切り出した。「今度ボウリングでも行きませんか」。交際が始まった。

 デートは大抵、川崎か蒲田駅だった。自分は大師線に乗り彼女は空港線に乗り継ぎ、待ち合わせた。「どこかに一緒に行くときは、電車の先頭や後尾の車両に乗ると会社の人に会うから、真ん中の車両に乗るようにしていました」。はやりの映画を見て、喫茶店で話し込んだ。青春だった。

 4年後、結婚した。「赤い電車が、運命の赤い糸を結んでくれたんですね」


 ほどなく、夢だった運転士になった。泉岳寺から浦賀までの本線、羽田へつながる空港線、そして大師線…。どこを走るかは計画表によって決められた。「ただ、運転士同士で運転予定の路線の交換もできるんですよ。自分は大師線を走りたくて、よく交換してもらっていた。普通は本線を走りたがるんですけど」。それは36歳で運転士を終えるまで、変わらなかった。

 その間、子宝にも恵まれた。「息子も鉄道の道に進んでくれないかと、自分の働いている姿を見せたりもしたんだけど、だめだった。こればっかりはどうしようもない」。苦笑はでも、幸せに満ちている。


 時代は変わった。

 大師線の沿線には、日本コロムビアや小松製作所、いすゞ自動車など、日本を代表する企業の大工場があった。「当時は職工さんの路線って感じでね」。乗降駅や作業服で、一目でどの会社かわかった。「みんな、『俺たちが日本をつくっている』という気持ちがあったんじゃないかなあ」。追憶の中の車内は、どこか活気に満ちていたように思う。

 工場の撤退や移転が相次ぎ、乗客の層も変わった。「最近は沿線にマンションが増えて、スーツ姿の人や親子連れの利用が多くなった」。工業の街川崎を支えてきた路線は、あり方を変えて今も走り続ける。

 地元の氏神である「大師様」の玄関口・川崎大師駅。元日には9万人が訪れる。「昔の方が皆さん、厳かな思いを持って来ていたかもしれない。お母さんは着物、お父さんはスーツ、子どもも一張羅を着てね。ただ今も昔も、明るい表情は同じです」。この年越しも大みそかから夜通しで駅に立ち、自身が初詣に行ったのは元日の昼すぎだった。

 参詣客でごった返す中、母に手を引かれた子が電車にはしゃぐ。「運転士の後ろに張り付いて、じっと見ている男の子が今でもいる」。かつての自分が重なる。目が合えば、笑みを返す。心の中でつぶやく。

 おじさんも、赤い電車が大好きだったんだ-。

 次の3月で制服を置く。「京急では駅長だけが赤いラインの入った制帽、通称赤帽をかぶれる。生まれ故郷の街で、あこがれの赤帽をかぶって、鉄道員(ぽっぽや)で終えられる。こんな幸せなことはない」。少し照れて、加えた。「自分は、『鉄道員』の高倉健さんが大好きでね」。また照れて、笑った。

                    ◇

 「縁のものがたり」では、人を支える人との縁、土地との縁をつづります。

 

京急大師線 1899(明治32)年に開通した京急電鉄の原点。六郷橋(後に廃駅)-大師間(約2キロ)を結ぶ川崎大師への「参詣路線」としてにぎわい、同電鉄グループの発展の礎となった。1902(明治35)年には現京急川崎駅までつながった。

 延伸や川崎市電の乗り入れ、一部区間の市への譲渡、廃止などを経て、70(昭和45)年に現在の京急川崎-小島新田間(4.5キロ)を結ぶようになった。

 京浜工業地帯を走る路線として、工都川崎の発展も支えた。かつてはコロムビア前駅(現港町駅)や味の素前駅(現鈴木町駅)など、近くに大工場を持つ企業の名前を冠した駅もあった。企業の移転や撤退に伴い、近年はマンションなどの宅地開発も盛んとなっている。


1981年の正月。運転士として勤め始めたばかりのころの小山さん
1981年の正月。運転士として勤め始めたばかりのころの小山さん

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