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軍隊の演劇
戦争のある人生(15)「死の門」を経た意味

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神奈川新聞  2005年11月27日公開  

「麦の会」初代代表を務めた高津一郎さん。「私たちの命は誰のものか」と問い続けた=今年7月、県立青少年センター演劇資料室
「麦の会」初代代表を務めた高津一郎さん。「私たちの命は誰のものか」と問い続けた=今年7月、県立青少年センター演劇資料室

 おれ、考えちまった……柄じゃねえけどよ。国っておれたちに何をしてくれた……(高津一郎作「ハマ野毛カストリ横丁純情族」、1998年)

 「“戦争ぼけ”です。ぼーっとして何も手に付かない」。横浜の老舗劇団「麦の会」の創立メンバー高津一郎さん=横浜市西区=は、復員直後の自分をそう回想する。マラリアの高熱に耐え故郷横浜に帰着したのは1946年3月10日。家族との2年4カ月ぶりの再会は、病床にあった母を起き上がらせるほどの幸福をもたらした。だが自身は、自我の喪失にもがいた。軍隊生活の価値観が敗戦を境に全否定されたのだ。「軍国少年から国体観念がすっと抜けたまま、何か空っぽのようで」

 空虚感を埋めたのは演劇と哲学だった。友人は東京で再開していた新劇公演に連れ出してくれ、チェーホフの「桜の園」やゴーリキーの「どん底」を見ては人間らしい生き方を自問した。民主主義を実践し社会に根付かせるために横浜のキリスト教青年会(YMCA)が始めた演劇研究会や哲学講義にも顔を出し、真理とは何かを探った。もちろん「国体」ではなかった。

 「1年半ぐらいかかったんじゃないかな、自分を取り戻すのに」。48年、その仲間らと結成した「麦の会」の旗揚げ公演で、太宰治原作「春の枯葉」を上演した。

わたしは口惜しい!こんな無責任な国のために、みんな自分の命を投げだそうとしたんです(同)

 60年代初め、横浜のアマチュア劇団員がテレビドラマの端役に起用されたことがある。そこでは、自分たちの公演に差し支えるほどこき使われた。安上がりの「員数」として消費されたのが実態だった。「個人を軽んじ侮蔑することは結局、命を平気で使い捨てる戦争に行き着く」。高津さんは「国家意思によって死の門に立たされた」自らの軍隊経験を重ねながら、平和に潜む戦争の思想と闘った。演劇の創作を通じて。

 61年に著した戯曲「笛と獣」に次のような一節がある。高度成長から取り残された貧困の中で、なお奮闘する人々の物語だ。戦争に負けて得られたものは何か-という復員直後の自問に対する、一つの答えが示されている。

笛  伯父さん、ここは、一体何んなんですか?
重政 単純な生きものにされてしまった哀れな者たちが、もう一遍人間らしくなろうとしてうごめいている場所だよ。

 高津さんの答えとは、「自由」だった。 
 
 〈おわり〉

戦前との連続性も
 弾圧されていた自由な演劇活動は戦後まもなく再開したが、戦前からの連続性もみられた。菅孝行著「戦後演劇」は、国粋主義こそ一掃されたものの、感性は「戦前新劇をそっくりそのまま移行させたもの」だったと指摘。菅井幸雄著「戦後演劇の形成と展望 上巻」も「依然として私的な体験に閉じこもる作品傾向や安易な外国演劇の紹介によりかかる傾向」があったとした。

 県内には戦後、アマチュア劇団が相次いで誕生。「麦の会」のほか「葡萄座」(1946年)、かに座(50年)、「河童座」(51年)など今も続く老舗劇団が多い。52年には加藤衛横浜市大教授が中心となり、アマ演劇の発展を目指す「横浜演劇研究所」が発足した。


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