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二つの疎開
戦争のある人生(10)わが家を壊す「防空」

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神奈川新聞  2005年11月27日公開  

野村さんに交付された「補償料支払通知」。「建物強制疎開ニ伴フ補償料下記ノ通リ…」とあり金額欄には385(円)。初任給が数十円の時代(県立公文書館所蔵)
野村さんに交付された「補償料支払通知」。「建物強制疎開ニ伴フ補償料下記ノ通リ…」とあり金額欄には385(円)。初任給が数十円の時代(県立公文書館所蔵)

 「野村征子旧蔵資料」と名付けられた戦中の文書類が、県立公文書館(横浜市旭区)に保存されている。「建物疎開」の政策で自宅を追われた一家に、当時の行政が発行した一連の書類だ。空襲の類焼を防ぐため住宅密集地の家屋を強制的に解体し「防空空地」を設ける政策が当時、大都市で進められていた。人口密度を小さくする狙いは学童疎開と同じで、むしろ「疎開」の主要事業だった。

 寄贈した野村征子さん(72)=同市保土ケ谷区=は当時1歳半、戦時の記憶はない。「防空壕(ごう)でも泣かない子だったと母から聞きましたけれど、覚えていないんです」。しかし資料をたどれば、国策に翻弄(ほんろう)された家族の姿が浮かび上がってくる。

 同市中区長者町6丁目の自宅でワイシャツ店を営んでいた野村家が建物疎開の対象となったのは、1945年3月。父純三さんは征子さんが生まれる直前に戦地へ赴き、母と祖母との3人暮らしだった。

 資料の一つ、はがき大のざら紙に手書きされた「補償料支払通知」には、立ち退きに際して「一般補償費385(円)」を4月25日に支払うとある。父が育てたシャツ店は「空地番号81、建物番号5」と素っ気なく記号で表されていた。行政は法令にのっとり、粛々と住民を追い出す手続きを遂行していたのだった。

 一家は父が以前世話になった南区の生糸商宅に身を寄せたが、1カ月余り後の5月29日、横浜大空襲に遭遇。防空壕に逃れ無事だったものの焼け出され、祖母の故郷、北海道北部の士別に再度移った。転居の際、乗車券の手配や荷物の発送などに必要だった「罹災(りさい)証明書」には、市長名で「罹災地住所 南區井土ケ谷下町…右罹災シタルコトヲ證明ス」と記されている。

 北海道に逃れた母は、戦地の父にはがきを出した。「私達三人はお蔭様で無事 只今表記の様に北海道へ来て居ります(略)懐しい横浜を去る事は残念でしたが長者町は建物疎開になりましたので思い切ってお店もやめてこちらへ来ました」。父はそのはがきを肌身離さず持ち帰り、今は旧蔵資料の一つとして同館に収められている。

 46年の初め、無事復員した父が、3人の暮らす北海道へやって来た。「私は覚えていないんですが、父が『ただいま』と玄関の戸をガラガラと開けたら、私が『どこのおじちゃん?』と聞いたんだそうです」と野村さんは話す。初めての父子の対面は、父を悲しませた。「父はわが子が飛びついてくるのを期待していたんでしょう。それなのに…」。それが戦争だった。




3万5千戸が解体
 県立公文書館で勤務経験のある県立高校教諭の中根賢は、同館の「野村征子旧蔵資料」を基に論文「神奈川県下の建物疎開」(昭和館紀要「昭和のくらし研究」11号)を発表した。

 建物疎開の根拠となったのは1937年制定の防空法(46年廃止)。軍事施設や軍需工場、鉄道など戦争遂行のための重要施設の周囲にある家屋が、強制的に取り壊された。その数は44年2月から敗戦までの間、全国61万戸、県内では横浜、川崎、横須賀など7市で3万5349戸に上り、空襲による焼失戸数の4分の1に匹敵した。「焼け野原」になる前に、相当数の住宅が人為的に更地にされていた。

 同論文は「野村征子旧蔵資料」と県の公文書「移転費調書」とを照合し、一般補償費385円のほか移転費250円も支給されたことを突き止めた。


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