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海底特攻「伏龍」
戦争のある人生(2)軍国少年の夢ついえ

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神奈川新聞  2005年11月27日公開  

「伏龍」について語った生前の門奈鷹一郎さん =2011年、横須賀市の自宅
「伏龍」について語った生前の門奈鷹一郎さん =2011年、横須賀市の自宅

 「模型飛行機を作るのが好きで、今の北京の天安門広場でゴム動力のグライダーをずいぶん飛ばしたものです」。昨年9月に85歳で亡くなった元「伏龍」特攻隊員の門奈鷹一郎さん=横須賀市=は、少年時代をそう述懐していた。

 鉄道員だった父は国鉄から当時の日本の植民地、朝鮮や満州(現中国東北部)を転々とする生活を送っていた。門奈さんは1928年、京城(現ソウル)で生まれ、中国北京に育った。将来は軍人になると決めていた。小中学校で教師に問われると、決まって「立派な軍人となって国家と天皇陛下のために一身をささげるつもりです」と、反射的に答えたという。「日本は神国で負けることはない、神風が吹いて天地がひっくり返る、といい年して本気で考えていましたね」

 周囲にいた日本軍人は陸軍ばかりだった。カーキ色の軍服に身を包み、革靴と汗のにおいが漂う兵隊の姿は「幼心にもやぼったく映りました」。憧れは、写真や絵で見た海軍飛行予科練習生(予科練)の七つボタンの制服。「格好良くて女性にもてそう、という気持ちもありましてね」

 日米開戦から2年半が経過した1944年、15歳の門奈さんは焦っていた。「まごまごしていると、この戦争は終わってしまう」と。戦況の劣勢は漏れ聞いても、敗北の懸念は頭に浮かばなかった。早く軍隊の一員に加わり「学校のみんなに追い付き、追い越したい」との念が勝っていた。中1の時に猩紅(しょうこう)熱が元で腎臓炎を患い、1年間休学したことが、前のめりの気持ちを一層高ぶらせた。

 中3修了まで待てば進級の早い甲種予科練の受験資格が得られたのに、半年が待てなかった。中3の1学期に、既に受験資格がある乙種を志願。同年6月、三重海軍航空隊に入隊した。

 生まれて初めて、勇んで踏み入れた「内地」は、すさんでいた。「私たちがいた外地にはそれなりに物資がありましたが、内地に来たとたん、無い無い尽くしでした」。その上、翌45年春になると予科練教育が中断し、三重県の志摩半島で特攻艇「震洋」の格納陣地造りに動員された。

 飛行機で大空を舞う夢はついえ、ひたすら穴掘りをやらされた。もう航空燃料も「赤とんぼ」と呼ばれた複葉の練習機さえ、ほとんど残っていないのだった。

陸海空で自爆兵器

 海底で自爆する伏龍の考案者は、海軍で真珠湾攻撃の作戦を練り、連合艦隊司令長官山本五十六の腹心といわれた黒島亀人軍令部第2部長(1893~1965年)とされる。戦備担当として1944年以降、グライダー「桜花」やモーターボート「震洋」、人間魚雷「回天」など、爆弾を積んだ体当たり兵器を次々に開発した。

 特攻はよく知られる航空機にとどまらず、水上や陸上でも行われた。その極致が45年4月の戦艦大和による「沖縄水上特攻」で、米軍の沖縄上陸に合わせ、艦を沖縄の海岸に乗り上げ攻撃する計画だった。出撃命令は、横浜市港北区の慶大日吉キャンパスにあった海軍地下壕(ごう)から出された。


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