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「田奈の悲劇」伝える説明板 翠嵐高の埋もれた歴史刻む

話題 神奈川新聞  2015年12月01日 03:00

設置された説明板に献花する鈴木さん(右から2人目)ら=神奈川県立横浜翠嵐高校
設置された説明板に献花する鈴木さん(右から2人目)ら=神奈川県立横浜翠嵐高校

 戦時中、神奈川県立横浜第二中学校(現県立横浜翠嵐高校)の生徒6人が亡くなり、“田奈の悲劇”と呼ばれた交通事故。軍関係車両が関わったため公にされなかったが、同級生たちは懸命に伝承に努めてきた。事故から71年の30日、横浜市神奈川区の同校に説明板が設置され、関係者は史実を後世に伝える意義をあらためてかみしめていた。

 説明板はステンレス製で、プール跡地に設けられた。事故の概要に加え、語り継ぐ同級生たちの活動や、次代への思いがつづられている。

 事故は1944年11月30日に起きた。生徒を乗せた3台のトラックが、動員先の陸軍東部補給廠(しょう)田奈部隊(現こどもの国、同市青葉区)に向かう途中、1台が部隊近くの川で転覆した。

 不運な偶然が重なったという。事故前夜は強い雨が降る中、横浜市内で空襲があった。普段は長津田駅で集合して列車に乗り込むが、空襲があったためか、けん引する機関車が来なかった。トラックにそれぞれ50人が乗り込み、ぬかるんだ道にはまったのが悲劇の原因となった。

 事故は、佐官旗を掲げた乗用車とすれ違う際に起きたため軍秘とされ、公にはされなかったという。

 ともに動員された旧友たちは毎年、命日に集まり祈りをささげるだけでなく、折に触れてさまざまな形に残してきた。53年、石製の慰霊碑を事故現場に設置。86年、事故の詳細を明らかにした冊子「神奈川県立横浜第二中学校二十八期生の記録」を刊行。94年、校内に6本の「横浜緋桜」を植樹。2006年、慰霊碑近くに説明板を設置。記憶の風化を防ぎ、不戦の願いを伝えてきた。

 校内に新たに設置した説明板の除幕式と慰霊式には、故人の同級生2人も参加した。転覆したトラックに乗っていた鳥居忠雄さん(87)=同市旭区=は「当時のことが鮮明に思い出される。無念だったに違いない」としのび、鈴木素一さん(87)=同市港北区=は「この事故を語り継いでもらいたい」と後輩に思いを託す。

 卒業生の樋口圭さん(44)は事故の経緯を同窓会ホームページに掲載するとともに、校内に事故関連の冊子などを展示した。昨年11月に発行した同校創立100周年の記念誌を作る際に事故を知り、「資料を読み込むうちに涙があふれ、きちんと残さないといけないと感じた」のがきっかけだった。

 在校生も語り部になっている。ともに放送委員会1年の千代田七海さん(16)と伊藤緩音さん(15)は、鈴木さんらへのインタビューを基に、11月中旬の県高校総合文化祭で語り継ぐ思いをプレゼンテーション。高く評価された。2人は「戦争中に私たちの同世代が経験した事故を伝えていきたい」と話していた。


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