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生きる証し、笑顔のストーリー(5)ありがとう 私の子で

社会 神奈川新聞  2017年01月07日 09:58

伊藤光子さんに抱きしめられて笑顔のまゆみさん(右)。入所施設内の梅の木の前で=2010年3月、伊藤さん提供
伊藤光子さんに抱きしめられて笑顔のまゆみさん(右)。入所施設内の梅の木の前で=2010年3月、伊藤さん提供

 色白の肌、ぱっちりとした目。体重3150グラム。元気な産声を響かせ、小さな手足をばたつかせる姿に、いとしさが込み上げた。

 「鼻や口元が夫にそっくり」。伊藤光子さん(75)=相模原市緑区=は、次女まゆみさん(48)を出産した日の光景を今も鮮明に覚えている。

 まゆみさんには重度の知的障害と肢体不自由がある。原因ははっきりしないが、出産時に頭が圧迫され、脳が傷ついたらしい。言葉での意思疎通は難しく、食事や排せつ、入浴など日常生活の大半で介助が必要だ。


 「何か、おかしい」。光子さんが違和感を覚えたのは、生後1カ月を迎えたころだった。あやしても目が合わない。ミルクを飲まず、体重が増えない。長女の育児と重ねて感じたおぼろげな不安は、次第に確信へと変わっていった。

 生後6カ月で体重は5キロに満たず、医師から「長くは生きられないかもしれない」と告げられた。人づてに評判を聞いては電車とバスを乗り継ぎ、すがる思いで病院をはしごした。

 「どうして、まゆみなの」。やり場のない怒りと、健康な体で産んであげられなかった申し訳なさから自分を責めた。「ねえ、まゆちゃん。お母さんと一緒に死んじゃおうか」。1歳半を過ぎたある日、これまでのみ込んできた思いを口にすると、小さな瞳でじっと見つめられた。

 「お母さん、だめだよ」。そう言っているような気がして、はっとした。「この子は生きていこうとしているんだ」。ふいに涙があふれた。それ以来、二度と同じ思いは抱かなくなった。


 まゆみさんが施設に入ったのは21歳の時。この先、ずっと一緒にはいてあげられない。実家から離れ、親以外の介助も受けられるようになってほしいと考えた。最初は泣いて嫌がっていたものの、徐々に職員にも心を許すようになっていった。

 昨夏、光子さんが口に運んだ食事をまゆみさんが拒んだことがあった。初めてだった。しばらく様子をうかがっていると、一人の男性職員を目で追っていることに気付いた。「もう私がいなくても、この子は生きていける」。わが子の成長を目の当たりにして、寂しさと同じくらいのうれしさが込み上げた。

 昨年10月、まゆみさんの半生をまとめた手記を自費出版した。「あとどのくらい、あの子のそばにいてあげられるか分からない。これはまゆみへの遺言」。光子さんは、ふふふと笑う。

 たとえ言葉が理解できなくても、思いはきっと届く。そう信じて、手記の最後にまゆみさんに宛ててメッセージをつづった。

 「健康な体に産んであげられなくて、ごめんね」

 いつも、心の中でそう言って手を合わせていました。

 もしも、まゆみが健康な子どもであったなら、家族の絆も、このように強くはなかったでしょう。

 私は、まゆみからどんなときもすべてに感謝することの大切さを教わりました。私の子どもでいてくれて、本当にありがとう。


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