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過去と決別 日本のおごり 「顔のないヒトラーたち」
映画から歴史認識考える

カルチャー 神奈川新聞  2015年10月08日 11:43

「顔のないヒトラーたち」の一場面。膨大な資料に分け入るヨハン検事
「顔のないヒトラーたち」の一場面。膨大な資料に分け入るヨハン検事

 第2次大戦後のドイツは経済復興にまい進し、過去を封印しようとしていた。そのなかで1963年、アウシュビッツ強制収容所でのユダヤ人虐殺を明らかにする初めての裁判が開かれた。ドイツ映画「顔のないヒトラーたち」はアウシュビッツ裁判までの苦闘を描く。裁判は、ドイツの歴史認識を変える大きな転換点になった。映画を通して、過去と向き合うドイツと、過去と決別しようとする日本を考える。

私は知らない

 映画の前半、1958年のフランクフルト。「アウシュビッツでのユダヤ人大量虐殺を知っているか」と問う新聞記者に、道行く人は一様に首を振る。それが、当時のほとんどのドイツ人だった。

 なぜか。フェリス女学院大の矢野久美子教授(思想史・ドイツ政治文化論)は「政府が復興最優先で積極的には歴史に向き合わなかったこと、一般市民は空襲など自らの被害の方が強烈でナチスの犯罪は“人ごと”のように感じていたのでは」とみる。象徴として矢野教授が挙げるのが、1949年から63年まで西ドイツの初代連邦首相を務めたアデナウアーの言葉だ。「誰かが線引きをして、過去を沈黙の中に葬らなくてはならなかった」

絶望を超えて


 映画の主人公、若い検事ヨハンはその潮流と戦うことになった。彼は新聞記者やアウシュビッツを体験したユダヤ人らの協力を得て、元ナチス親衛隊員を捜し出し、逮捕しようとする。が、検察庁内部から異論が出る。「やっと癒えた人々の戦争の傷口を、また広げようというのか」。記者の家の窓ガラスを割った石には、ハーケンクロイツが描かれていた。

 さまざまな妨害を受け、時には絶望しながらも、ヨハンは引き下がらない。彼と同志を支えたのは「事実をもみ消す方が民主主義に反する」「うそと沈黙は、もう終わりにしなければならない」との信念だった。

 元ナチスの容疑者数人が浮上する。尾行するヨハンが見たのは、何食わぬ顔で善良な市民になり切っている男たちの姿だった。虐殺は怪物や異常者によるものではない。良き市民、優しい隣人による犯罪だった。

 この認識は2013年に日本でも公開されて大きな反響を呼んだ映画「ハンナ・アーレント」に通じるような気がする。同作品で、ナチ戦犯アイヒマンの裁判を傍聴した政治哲学者ハンナ・アーレントは、アイヒマンに平凡な役人の“凡庸な悪”を見た。

歴史的な裁判


 1963年12月20日、フランクフルトでアウシュビッツ裁判が始まった。自国の戦争犯罪者を自国の司法で裁く世界初の法廷。裁判では同収容所の元副所長や医師ら20人を起訴、17人が殺人ほう助などの罪で有罪判決を受けた。

 裁判は、ホロコーストを白日の下にさらした。ユダヤ人殺害の手を下し、または手を貸した者たちが長年、罪に問われずにいた事実を暴露した。ヨハンを支持してきた検事総長はユダヤ人で、最後に「君を誇りに思う」とたたえる。
 
 戦後日本は戦争犯罪の裁きを連合国による極東国際軍事裁判に委ねて、よしとした。内外での捕虜虐待などはB級戦犯裁判に任せ、自らの問題としなかった。日本の司法当局が戦時下の行為によって日本人を訴追したことは一度もない。

 自国の戦争犯罪者を自国の司法で裁くことは容易ではなかった。ヨハンの考えは、現代日本の右派からすれば“自虐史観”だろう。が、彼は事実をもみ消すことを断固拒否する。

 矢野教授は言う。「被告たちは自らの罪を認めませんでした。その点では『裁けなかった』かもしれません。しかし、ヨハンたちが時間と労力をかけて歴史的事実や被害者の証言を丹念に聞き取り、記録し、残した意味はとても大きい。それが、現代ドイツの基礎になったのですから」

不都合な真実


 日本では南京事件の被害者の「規模」「数」について、あるいは従軍慰安婦と「軍の関与」「強制の有無」についての議論が延々と続いている。関東大震災下での朝鮮人虐殺などを含めて“不都合な真実”にフタをしようとする歴史修正主義が勢いを増している。「あの戦争に関わりのない子や孫の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍晋三首相の戦後70年談話は、そんな時流に沿うものだろう。

 「歴史や過去、起こったことの事実性を『どうでもいいもの』にしてしまったら、人間社会は支えを失ってしまう。私たちは、歴史から学ぶしかないのです」と矢野教授。

 ドイツのメルケル首相は今年1月、ナチスによる虐殺の被害者追悼式典で「何百万人もの人々を殺害した犯罪を、見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身でした。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。過去を記憶していく責任があります」と述べた。

 過去と真摯(しんし)に向き合うことで国際社会の信頼を得て、EUの指導的位置に立ったドイツ。過去と決別しようとする日本。安倍談話は歴史を語り継ぐことの否定、歴史に対するおごりではないか。

 「顔のないヒトラーたち」は東京・ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。17日からは横浜のシネマ・ジャック&ベティ電話045(241)5460でも。

 

スリリングな展開 2014年、ドイツ映画。監督・脚本はドイツ在住イタリア人のジュリオ・リッチャレッリで、俳優としても活躍する彼の長編映画監督デビュー作。アウシュビッツ裁判を正面から描いた初めての映画である。主役のヨハン検事は「イングロリアス・バスターズ」で国際的に知られるようになったアレクサンダー・フェーリングが演じている。新聞記者と検事総長は、ともに実在の人物。ヨハンは架空だが、当時裁判のための調査に当たった3人の検事を集約したイメージで作られた。「重たい問題を扱いながらも、純然たるエンターテインメント作品」というプロデューサーの言葉は、2時間3分を少しも飽きさせないスリリングな展開と個性的な脇役陣にも表れている。



矢野久美子教授
矢野久美子教授

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