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がん最前線・対策基本法10年(下) 自己実現できる社会

社会 神奈川新聞  2017年01月05日 11:53

小児がん経験者として活動に取り組んでいる小俣准教授=東京都西東京市の武蔵野大学武蔵野キャンパス
小児がん経験者として活動に取り組んでいる小俣准教授=東京都西東京市の武蔵野大学武蔵野キャンパス

 30年以上前のことになる。当時、通っていた中学校は校則が厳しかった。抜き打ちの「前髪検査」があり、眉毛が隠れるようであれば注意された。抗がん剤治療の影響で髪が抜け、前髪が長いかつらを着けていたため、周囲に気付かれないようにひょいっと後ろにずらし、監視の目をくぐり抜けていた。

 武蔵野大学人間科学部で教壇に立つ小俣智子准教授(47)が、講演などで語る自身のエピソードだ。病を乗り越えた今、笑い話にしている。そこには信念がある。

 「小児がんだったことを友達に伝えると、『なんで生きてるの?』だなんて言われることがある。テレビドラマなどでは小児がんの患者はすぐに死んでしまうし、治療が終わっても大変というネガティブなイメージを持たれるけど、それを払拭(ふっしょく)したい。明るく生きている人は多い」

 かつては生存率が低かった小児がん。そのために患者の声が社会に届きにくく、実態があまり把握されていなかった。しかし、治療技術が進歩し、病気を克服して社会で活躍する患者が増え、支援の機運が高まってきた。

 小俣准教授は神奈川県内で幼少期を過ごし、中学1年の時にリンパ性脳腫瘍を患った。それでも、約6年間の治療の末に寛解。大学院卒業後は闘病経験を生かし、横浜市内の病院に勤め、ソーシャルワーカーとして患者をサポートした。

 病気のことでいじめにも遭ったが、「守ってくれる友達がいたから乗り切れた」。患者には支えが必要だからこそ、「患者自身がどんどん声を上げて、伝えていかないといけない。そうしないと支援が進まない」と言う。

 小児がんへの理解を広めようと、仕事の傍らで活動にも取り組んでいる。患者との「横のつながり」が広がる中で厳しい現実を知り、「見過ごすことはできなかった」。当事者としての問題意識が突き動かした。
 

二つの告知



 活動の一つに、小児がん患者へのアンケートがある。「当時は画期的だった」と振り返るように、患者の実態把握を目的とした調査がまだ、行われていないころだった。

 小俣准教授が発足に尽力した患者団体「Fellow Tomorrow(フェロートゥモロー)」のメンバーら約40人が協力し、闘病期にうれしかったこと、つらかったことなどを質問した。回答の多くに共通した問題が、「告知」だった。医師や親が子どもに伝える一般的な告知に加え、子ども自身が友達や学校の先生ら周囲に伝える告知がある。

 まだ患者の生存率が低く、「小児がんイコール死」というイメージが強かったころ、医師や親が子どもに病名を伝えることはためらわれた。告知することは、死を宣告するのに等しかったからだ。しかし、その気遣いは、“空振り”に終わることも少なくない。

 小俣准教授は「子どもって意外と多くの情報を得る。同じ病室に同じ病気の子がいれば情報交換をするし、同じ薬を使っていて、片方が本当の病名を知っていれば伝わってしまう。情報化の今はなおさら」と指摘する。

 親たちの気遣いが、子どもに負担を強いていることは想像しにくい。「周囲の大人が病気を隠していると分かれば、病気に気付いてもそれを言うことはない。それまで病気についていろいろ聞いていた子どもが突然、何も聞かなくなる。子どもが逆に気を使うようになる」。実際に経験した事例だ。

 生存率が向上した現在、病名を隠す必要性は薄れているが、なおも家族が隠そうとするケースがあるという。しかし、それは子どもの自立を妨げてしまうという。

 小児がん患者が長く生きられる時代になり、就職や恋愛、結婚などを経験する機会が増え、人間関係が広がっていく。自分の病気を正確に把握していなければ、状況に応じた適切な説明ができず、周囲の理解を得ることが難しくなる。

 「これからの小児がん患者や家族は、『生き残る』ではなく、『生き続ける』を意識する必要がある。そのために子どもの状況や状態に合った十分な告知をすべき」と考えている。
 

次の10年へ


 2014年3月、小俣准教授は10年間取り組んできた活動に区切りを付けた。小児がん経験者2人と協力して立ち上げた「小児がんネットワークMN(みんななかま)プロジェクト」。講演や米国で始まった「ゴールドリボン活動」などの啓発活動を行い、患者の声を社会に届けてきた。


小俣准教授らが手作りし、啓発活動で配っているゴールドリボン
小俣准教授らが手作りし、啓発活動で配っているゴールドリボン

 集大成として、12年12月に小児がん経験者らを集めた全国大会を同市内で開催し、「小児がん横浜宣言」を採択した。「小児がんを自信に変える」とうたった項目には、患者の決意が込められている。

 小児がんの経験は過酷でつらいものです。しかし、一方で多くの人に支えられ、困難を乗り越えるというかけがえのない経験もします。この貴重な経験が生きていくための糧となり自信へとつながるよう希望を持って前へ進んでいきます。

 フェロートゥモローを発足させた当時は、患者団体は国内ではほとんど存在しなかったというが、各地で増えてきた。ネットワークの広がりを実感する小俣准教授は「少しでも小児がんのことを知ってもらえたのは成果」と、手応えを口にする。

 ただ、依然として課題はある。患者は治療を終えた後も、さまざまな疾患を発症する晩期合併症を患うことがあり、医療とは縁を切れずに費用や労力の面で負担が続く。また、偏見や無理解が根強く残っているために病歴を打ち明けると、就職活動などでは不利になることもある。支えを必要とする患者家族の環境も不十分という。

 「全国で小児がん拠点病院が設置され、土台は出来上がった。次は、それを生かすこと。患者の声を国に届ける仕組みをつくり、小児がん患者が自己実現できる社会を」と訴える。

 次の10年を見据え、挑戦を続ける。「活動していて、患者本人の言葉を伝えていくことの重要性に気付いた。これからもできる限り声を上げていきたい」


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