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野毛坂の石畳消え景観一変 交通安全でアスファルトに

社会 神奈川新聞  2015年10月03日 03:00

アスファルト舗装に工事中の野毛坂。路側帯部分にのみ石畳が残された=3月13日撮影、横浜市西区
アスファルト舗装に工事中の野毛坂。路側帯部分にのみ石畳が残された=3月13日撮影、横浜市西区

 横浜市中央図書館や野毛山動物園に続く「野毛坂」(横浜市西区)は、幾何学的な波文様の石畳が敷き詰められ、文化施設が集まる閑静な雰囲気もあいまって港ヨコハマの情緒を漂わせてきた。ところが3月、交通安全などを理由に石畳がはがされ、アスファルト舗装に改修された。一変した坂の雰囲気に、専門家からは「異国情緒を伝える横浜らしい道路が壊され、非常に残念だ」と、惜しむ声が上がっている。

 1974年4月27日の神奈川新聞には、市が東京の職人を呼び寄せ、野毛坂の石畳を補修したという記事が残る。「保存には力を入れたい」と、道路を管理する西土木事務所のコメントも紹介された。それから41年-。

 「車のタイヤが石畳で擦れて、洗濯物に粉じんがついて困る」。同土木事務所は、野毛坂の改修理由のきっかけの一つは近隣住民からのこうした苦情だったと明かす。車両の走行音がうるさい、雨の日に二輪車が滑って怖い-、などの意見が町内会などから寄せられ、ことし1~3月に改修工事を実施した。計401メートルの石畳舗装のうち市長公舎と野毛山動物園の前の計77・5メートルと路側帯分を残し、アスファルト舗装に改修した。

 歴史的景観の保全を目指す市都市デザイン室によると、石畳は震災復興事業の一環で大正時代に整備された。歴史的な町並みを残そうと市が88年に発行した冊子「都市の記憶 横浜の土木遺産」には、「震災後の舗石道遺構としては、紅葉坂、野毛山公園に至る坂道などにいわゆるピンコロ舗石が現存している」と記してある。

 同土木事務所は、97年の改修で新しい石畳に敷き替えられたことから「石の文化財的価値は低いと判断」し、改修を決めた。工事に当たってデザイン室に相談し「当初、すべてアスファルト舗装にする予定だったが、景観に考慮し、部分的に残した」と話す。

 工事中は、石畳の取り壊しに反対する市民からの意見も電話や手紙で寄せられたが、浅野泰史・同土木事務所副所長は「石の文化が理解されている欧州と異なり、近隣住民の日常生活との折り合いをどうつけるかが非常に難しいテーマ」と話す。デザイン室の綱河功室長は「石畳を残したいという地元の方の強い思いがないと保全は難しい」。

 一方、横浜の歴史的建造物に詳しい横浜国立大学名誉教授の吉田鋼市さんは「石は手作業で敷き詰められ、手の込んだつくりだった。一部保存は評価できるが、騒音などに配慮しても全面的な保全の方法はあったはず。残念だ」と語る。野毛坂周辺にはかつて高官や豪商が住み、文化的景観の維持が重視されたが、現在の関心は人が集まる関内、山手地区などに移っているという。「保全対象地域にも“中心”と“周辺”が生まれている。今後、対象地域が縮小されるのでは」と憂慮する。

 はがされた石は、同区内で国際交流活動を進めるNPO法人「コネクション・オブ・ザ・チルドレン」が引き取った。運営する地域拠点の敷石に活用する予定で代表理事の加藤功甫さん(27)は「野毛坂は、欧州を旅したときを思い出すすてきな石畳だった。大切にされてきた石を自分たちの手で敷き直し、地域の交流の場に生かしたい」と話している。


戦前は市内の随所に見られたという石畳。「石畳の道は横浜を訪れる人や市民にとって“ミナト町ヨコハマ”の情緒を感じさせるものとして、愛着の深いものだけに貴重な存在だ」と書かれている=1974年4月27日の神奈川新聞・横浜版
戦前は市内の随所に見られたという石畳。「石畳の道は横浜を訪れる人や市民にとって“ミナト町ヨコハマ”の情緒を感じさせるものとして、愛着の深いものだけに貴重な存在だ」と書かれている=1974年4月27日の神奈川新聞・横浜版

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