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近藤弘明さんを悼む 軍隊時代も花踏まず

社会 神奈川新聞  2015年09月18日 03:00

小田原にアトリエを構え、地元の名所も描いた近藤弘明さん
小田原にアトリエを構え、地元の名所も描いた近藤弘明さん

 飛び不動の三男坊-。東京の下町で、飛び不動の通称で親しまれた古刹(こさつ)の三男として生まれた近藤弘明さんを知り合いはこう呼ぶ。

 幼いころから絵筆に親しんだ三男坊は東京美術学校在学中の終戦間際、陸軍軽井沢航空隊に志願した。八ケ岳山麓でグライダーを担いで移動する時には「僕は花を踏まないようにした」と語っていた。

 戦後間もなく、憧れていた作家・志賀直哉のもとへ短編小説を送り返事をもらった。何度か訪問しているうち、絵を描いていることを知った志賀は作品を見て「絵のほうが向いているよ」と。白樺派の大御所は人を見る目も確かだった。

 横浜美術館に「秋の七草」が収蔵された1988年ごろのこと。「小田急線の新松田駅近くの鉄橋あたりから酒匂川の川べりを河口まで歩きましたよ、でもフジバカマだけは見つからなかった」と語ったことがある。晩春に南足柄市立足柄森林公園「丸太の森」の元園長箭子(やこ)清さんからフジバカマ3株を入手してアトリエの庭に植えた。秋になって、辛うじて1株が咲いたが間もなく枯れてしまった。残念がられるので翌年、箭子さんとともに数株を植えてみたがやはり枯れた。

 「山の上で海が見えるところで絵を描きたい」と30年前、山縣有朋の古希庵にほど近い小田原・板橋にアトリエを構えた。「東京にいたころに比べて絵が明るくなったと、周りの人たちが言います」と語り、長興山の枝垂れ桜や御感の藤などの小田原の名所も描いた。



 近藤弘明さんは13日死去、90歳。


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