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ハマの繁栄照らし続けて55年 横浜の照明専門店が閉店

話題 神奈川新聞  2015年08月20日 03:00

20日の閉店を前に店の歴史を振り返る吉崎省二さんと妻の時子さん=ハマ電機
20日の閉店を前に店の歴史を振り返る吉崎省二さんと妻の時子さん=ハマ電機

 半世紀以上にわたりハマの街を色とりどりに照らしてきた名物店がその灯を落とす。横浜市中区の照明専門店「ハマ電機」が20日を最後に55年間続けてきた営業を終える。「あの戦争を二度と繰り返してはいけないと思ってきた」。街を焼き尽くし、色までも失った横浜大空襲を経験し、店主の吉崎省二さん(85)は、そう誓って店を続けてきた。

 イセザキ・モールに面した店先でサンプルの電球が赤、黄、緑の光を放つ。発光ダイオード(LED)から蛍光灯、ハロゲン電球、ブラックライト…。「国内でも随一だと思うけれど」。あまりの品ぞろえに吉崎さんでも正確に把握しきれないほどだ。

 開業は1960年。中区曙町の老舗バー「アポロ」はバーカウンターをほのかに照らす小さな白熱電球をハマ電機で仕入れていた。マスターの石原清司さん(77)は「ハマ電機さんがなくなると、横浜の夜が寂しくなる」と惜しむ。

 45年5月29日の横浜大空襲。吉崎さんが通っていた神奈川区の県立工業学校(現・県立神奈川工業高校)の校舎にも焼夷(しょうい)弾が降り注いだ。同級生5、6人と東急線東白楽駅近くのガード下に逃げ込んだ。黒煙に覆われ、暗闇に包まれた。見上げた北西の空から光が差し込み、青空がちらりと見えた。「あっちだ」。反対側に逃げていれば火炎に巻かれていた。

 発電所は空襲を受けず、市内は停電しなかった。吉崎さんは60ワットの裸電球を灯(とも)して勉強を重ね、終戦後に新制の神奈川工業高で最初の卒業生となった。

 中区伊勢佐木町にあった横浜最古のレコード店「ヨコチク」で働いた後、「オーディオ機器を扱った経験や技術を生かして、人々の豊かな暮らしに貢献できれば」と独立。高度成長期のまっただ中、思いついたのが電器店だった。

 東京五輪を迎えるとカラーテレビが次々と売れ、洗濯機や冷蔵庫なども扱った。ライフスタイルの多様化に伴い照明器具のニーズが高まると踏み、90年代から専門化した。大型量販店の台頭を前に生き残りを模索した結果でもあった。

 常連客は地元を中心に増え、「黄金町のガード下の飲食店の女の子たちが、店を彩る好みの色の電球をこぞって買いに来たこともあった」と吉崎さん。

 店は妻時子さん、弟隆三さん(81)と切り盛りしてきたが、潮時を感じ、閉店を決めた。「80歳を過ぎて足が弱くなってきた。店舗も老朽化した」。インターネット通販の普及で売り上げが伸び悩んだことも理由の一つという。

 吉崎さんは言った。「55年間、地域のためにと頑張ってきた。お客さまにも恵まれ、明るい人生でした」


20日で閉店することハマ電機=横浜市中区伊勢佐木町7丁目
20日で閉店することハマ電機=横浜市中区伊勢佐木町7丁目

「黄金町で働く女の子たちが自分の店を彩る電球を求めに来たから、電球にスイッチを取り付けて店内で光らせてみせる工夫をした」と話す吉崎さん
「黄金町で働く女の子たちが自分の店を彩る電球を求めに来たから、電球にスイッチを取り付けて店内で光らせてみせる工夫をした」と話す吉崎さん

吉崎さんが手書きした看板。「素人の絵だと足を止めてくれる人がいてくれるはずだから」
吉崎さんが手書きした看板。「素人の絵だと足を止めてくれる人がいてくれるはずだから」

吉崎省二さん(右)と握手をする弟の隆三さん
吉崎省二さん(右)と握手をする弟の隆三さん

日立製テレビを扱っていたころから大切にされているキドカラーのマスコット「ポンパ君」
日立製テレビを扱っていたころから大切にされているキドカラーのマスコット「ポンパ君」

テイチクに訪れた歌手江利チエミを囲む店員ら。右端が吉崎さん。中央に「思い出のワルツ」のSPレコード盤のジャケットが置かれている=1953年ごろ(吉崎さん提供)
テイチクに訪れた歌手江利チエミを囲む店員ら。右端が吉崎さん。中央に「思い出のワルツ」のSPレコード盤のジャケットが置かれている=1953年ごろ(吉崎さん提供)

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