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横浜スタジアムで、15年ぶりに単独ライブ
ゆず、終わりは、ずっとない(下)

カルチャー 神奈川新聞  2015年08月14日 11:04

母校、岡村中学校の指定ジャージーをはおり歌っていた路上時代=横浜松坂屋前
母校、岡村中学校の指定ジャージーをはおり歌っていた路上時代=横浜松坂屋前

終わりは、ずっとない



 北川、岩沢ともに磯子区岡村生まれ。インディーズ時代に作った「岡村ムラムラブギウギ」では自転車で駆けた岡村について歌った。歌詞にある〈どんぐり山〉はマンションに、〈小笠原文具店〉は閉店と、時代がその姿を変えさせた。
 岩沢は「形がなくなっても消えないものがある」、北川も「岡村から見た景色が曲の原風景の中に、いつまでも消えない景色として残っています」と力を込める。そんな2人を町民は誇りと愛している。


 ステージ衣装として着用していた母校の「岡村中学校」の指定ジャージーを販売する「オリオンスポーツ」には、アルゼンチンのサッカーの英雄ディエゴ・マラドーナと、ゆずの写真が隣同士に並ぶ。町を訪問した“ゆずっこ”(ゆずファンの総称)が迷わないようにと、ゆかりの地を記した地図「岡村ゆずマップ」を配布、特製のスタンプラリーも準備して、もてなしている。アルバム「すみれ」(03年)のブックレットの中で撮影地として使用された「横浜市三(さん)殿(との)台(だい)考古館」の事務所には、ゆずっこたちが思いを記すノートが03年7月に置かれ、継がれた思いは現在、31冊目になった。ノートには東日本大震災後に出向き、歌で励ました2人へ、「歌をありがとう」と被災地のファンから感謝の言葉が記されていた。

 「岡村天満宮」には、横浜松坂屋の屋上に展示されていた2人が歌う姿を描いたボードが住民の呼びかけによって移設された。24日に同敷地内である祭りでは、浴衣姿の幼稚園児がゆずの「スマイル音頭」に合わせて踊る予定だ。


 「終わらない歌」「二人三脚」と続くシングルの最後に、生まれ育った横浜の街、そして未来への思いを込めた「みらい」(09年、横浜開港150年記念テーマ曲)を弾き語りで収めた。

 北川は「『みらい』を作っていた時は、故郷を思う自分たちの姿を想像していましたが、歌い続けてきて、僕自身が誰かの故郷になっているんだなと思うようになりました。僕らが作った曲は、作って終わりじゃなくて、受け止めてくれた人が自分の体験と合わせて深めることで、深化していくんです」

 岩沢は「未来のため、僕らにできることは歌うこと。それが僕のやるべきことでもある。でも、歌いながら、『これでいいのかな』と迷うときもあるんですよ。そう思って18年たってしまった。ずっと満足できないから、いまもギターを持って歌っているんだと思います。終わりはずっとなくて、いつも、もっと、と探し続けている」

 約15年ぶりに横浜スタジアムで行う単独公演。2人とも“晴れ男”と言い、天気の心配はなさそうだ。岩沢は「風を感じながら歌うことができるのは屋外ならではのこと。いいハマカゼが吹いてくれたら」。北川は「お祭りみたいに盛り上がりたい」と目を輝かせた。


【取材を終えて】
 取材を行ったのは、「神奈川新聞花火大会」の翌日の5日。横浜スタジアムライブのリハーサルで忙しい2人ですが、北川さんは少しだけ花火を目にすることができたそう。「すごいよね。僕、いろんなところで花火大会を見たことがありますけど、神奈川新聞の花火は世界に誇れる花火だと思います」と大興奮。

 岩沢さんは「僕、自分の名前が初めて載ったのが神奈川新聞でした。小学校のとき、空手の大会に出たときの結果が掲載されていたんです。懐かしいな」と紙面に目を通していました。取材後、神奈川新聞の広報大使「カナロコ星人」と写真を1枚。北川さんは「あんまりかわいくないね。何がダメなのかな。目が離れてるからかなぁ…」と分析していました。


きたがわ・ゆうじん、1977年1月14日生まれ。いわさわ・こうじ、1976年10月14日生まれ。1996年3月に結成。伊勢佐木町にあった横浜松坂屋前での路上ライブは7000人以上の観客を集めた。「栄光の架橋」(2004年)などヒット作は多数。


ゆず(写真左から)北川悠仁さん、岩沢厚治さん
ゆず(写真左から)北川悠仁さん、岩沢厚治さん



ゆず「夏の野球場ツアー2000満員音(楽)礼〜熱闘!Bomb踊り〜」(2000年)のステージ
ゆず「夏の野球場ツアー2000満員音(楽)礼〜熱闘!Bomb踊り〜」(2000年)のステージ



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