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萎縮する「自由」〈6〉戦時中の空気 権力者の国民誘導に協力

カルチャー 神奈川新聞  2015年08月14日 10:02

第2次世界大戦の開戦中に発売された「婦人倶楽部」「主婦之友」。軒並み戦意を高揚した
第2次世界大戦の開戦中に発売された「婦人倶楽部」「主婦之友」。軒並み戦意を高揚した

 「強くなれ 良くなれ」のタイトルに続き、本文は「大東亜を立派にうちたてるためには、日本人が中心になつて、みんなを導いていかなければなりませぬ。みんなを導いていくためには、よい日本人がもつと澤山ふえなければなりませぬ。よい日本人が澤山ふえるためには日本の子供が、一人のこらず 丈夫で 元気で、そして勉強もよくできるやうにならねばなりませぬ」。著名な酒造会社の新聞広告だ。その隣にはもっとストレートな化粧品の広告もある。爆弾を模したイラストの中に「屠(ほふ)れ 米英 我等の敵だ」。いずれも1942年6月29日の本紙に掲載された。
 
「手法」は同じ
 「やっぱりすごいよ、日本人」のような、日本の歴史や文化、経済力を礼賛する本が今、書店に数多く並ぶ。戦時プロパガンダの資料を収集、研究する編集者の早川タダノリは「戦時中の状況に重なる」と指摘する。満州事変から日中戦争、そして日米開戦へと続く過程で早川が着目するのは「メディアが積極的に協力した」という点だ。
 
 確かに検閲や報道規制は強まっていた。しかしそれと同時に、政府に都合の良い情報であれば掲載はむしろ奨励された。37年に近衛文麿内閣が打ち立てた「国民精神総動員」で重視されたのは宣伝。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」といった標語もその産物だった。翌年、国家総動員法が成立し、総動員体制が確立した。
 
 「大々的にマスコミ対策を行って、政府が書かせたい記事を書いてもらうような関係を築いた。総合雑誌や女性誌、漫画、紙芝居などあらゆるメディアに協力を要請した」と早川は説明する。その効果には疑問符が付くものの、早川は、一定の方向に国民を誘導する手法の「発明」自体を重視する。現在も“適用可能”な手法だからだ。

 
下からの参加
 その「発明」は、単に権力者が国民の思想、行動を「誘導」したのにとどまらない。国民自らが「国民精神総動員」に参画していくよう、いわば「習慣化」したともいえるのだ。「日本人ならばこうすべきだ」という倫理観。それは今も通ずる。「例えば君が代斉唱のときに起立しないのは意思表示のはずですが、実際は『マナー違反』という目で見られる。そういう規範が当時から浸透していたのではないか」(早川)
 
 戦時の「空気」は、上からの圧力だけでは成り立たなかった。下からの「自発的参加」があってこそ推進された-。そのことを大衆文化の観点から指摘したのが、東京外国語大教授の中野敏男(文学)だ。中野は著書「詩歌と戦争」で、関東大震災(23年)の時に活発化した町会活動を挙げる。治安悪化を恐れた「自警団」がその代表例で、震災を機に新設された町会は当時の東京市で550に上った。
 
 こうした市民の動員は非常時だけでなく、平時においても熱気をみせた。その例が、33年に大流行した「東京音頭」。同書によると「空地という空地にやぐらが組まれ町内の人々が総出で熱狂した」という。やがて「日本」を前面に押し出した「国民歌謡」を北原白秋のような著名な文学者が推進し、「翼賛詩歌」という形で国家総動員体制に合流していく。「下からの自発性と上からの制度化とが繋がって成立した戦時ファッショ体制」だった、と中野は記している。
 
「次の戦争」へ
 中野が指摘した震災後の自警団は、流言飛語に基づいて朝鮮人を虐殺した。町会という「公式な制度に組み込まれた」殺人。その制度は総力戦体制へと直結したという。同じことを、川崎市に暮らし、2014年1月に99歳で亡くなった劇作家の神谷量平も指摘していた。神谷にとっては「生の記憶」でもあった。
 
 「今の人は、どういうふうに戦争になるか分かっていないんだろうと思う」。2年前、本紙の取材にそう語った神谷は、自身が手がけた同人誌「第四次 京浜文学」22号(13年6月刊行)に「私は今次大戦、いや敗戦の発芽が大正十二年の関東大震災から始まったことを、はっきりと記憶しています」と記した。朝鮮人や社会主義者が「ドサクサ紛れの官製の殺人事件」で殺害された、と。そしてこうも書いた。「現在の政府はもう次の戦争の準備をしています。あれだけの苦難をもう全く皆さん、忘れています。いや、誰ももう御存知ではないのです」
 =おわり


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