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あすの約束できる幸せ  終戦まで神風信じた11歳

社会 神奈川新聞  2015年08月13日 13:23

沖田俊昭さん
沖田俊昭さん

沖田俊昭さん(81)

 鎌倉の国民学校(現市立御成小学校)の5年生。11歳でした。若い男の先生はほとんど戦地へ行ってしまって、女の先生ばかり。男は戦地で一人でも多くやっつける道具。女は産めよ増やせよの機械-。全てはお国のため、天皇陛下のためと教えられていました。

 戦況が思わしくないというのは分かるんですよ。敵の空襲機がやたら来るようになりましたから。サイレンの音は、今思い出しても嫌な気持ちになります。

 それでも「日本は『神の国』だから必ず勝つ。負けるはずがない」と教育を受けて、子どもらは皆信じました。特に鎌倉には元寇(げんこう)の歴史があるでしょう。そう思う気持ちは、余計強かったかもしれません。神風は吹く、奇跡は起きる、と。

 終戦を伝える玉音放送は、知り合いの家で聴きました。何を言っているのか分からなくて、だけど終わったとたん、そこにいた将校2人が「『天ちゃん』の言葉か」なんて言ったんです。そんなことを言うのかとショックを受けました。そうして戦争に負けたんだと知りました。

 1週間ぐらいして、「すげえぞ、船が」と聞き、海岸へ駆けました。材木座、由比ガ浜の沖合に、ズラーッと米軍の艦隊が並んでいたんです。見たこともない鉄の塊が横一線に埋め尽くし、すごいところと戦っていたんだなあ、と思いました。

 少したってからです。NHKのラジオで、天気予報を聴けるようになったのは。戦中にはなかった。敵に天気を知られたら、狙われてしまいますから。

 あれを聴いたとき、ああ、戦争は終わった、本当にそう思いました。

 何しろ、あしたの約束ができるようになったんです。近くの友達と、初めて一番電車に乗って、後楽園へ野球を見に行きました。「あしたは晴れるでしょう」。あしたが普通に来る、あしたが約束されているというのは、本当にすごいことなのでした。

 父は宮大工でした。関東大震災で被災したお寺を復興するため、高知から鎌倉へ来たんです。でも当時は、戦火が広がるのを防ぐために木造家屋を取り壊す時代でした。そして負けた瞬間、神も仏もなくなった。腕を振るうことはかなわなかった。仕方なく、知り合いの山林を切らせてもらって、畑を3反やりました。

 自分の一生を自分で描けるというのは、何と幸せなことかと思います。戦争は一人一人の人生を犠牲にしました。


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