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萎縮する「自由」(3)政治性はらむ題材を避け

カルチャー 神奈川新聞  2015年08月07日 11:37

イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人による演劇公演。後に「非戦を選ぶ演劇人の会」と名を変え活動を続ける=2003年4月、東京・紀伊国屋サザンシアター
イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人による演劇公演。後に「非戦を選ぶ演劇人の会」と名を変え活動を続ける=2003年4月、東京・紀伊国屋サザンシアター

 「禁煙条例がある県の劇場で、喫煙シーンはまずいんじゃないか」。県が設置し2011年にオープンしたKAAT神奈川芸術劇場(横浜市中区)で、開業から間もないころに上演されたある演劇作品。招かれて観劇した県議の一人が、たばこを吸う場面があったことを問題視して周囲に漏らしたという。

 公共の場の分煙、禁煙を厳しく定めた受動喫煙防止条例を進める神奈川で、しかも県が設置した劇場で、そういう表現はふさわしくない-。このときの、指摘はこれきりだったものの、劇場の行方を左右する力を持つ議員が表現に横やりを入れた瞬間だった。関係者は肝を冷やしたという。

喫煙はNG


 細かな事例かもしれないが、そういう「力」の積み重ねは表現者の萎縮、そして自主規制を招く。

 今年3月末発行の日本劇作家協会の会報「ト書き」に、たばこを題材にした短い戯曲「NGです」(園田英樹作)が載っている。毎回、劇作家が決められた題に沿って数行から数十行の作品を発表する欄だ。

男 たばこのシーン、別のものにできる
女 ポッキーで
男 そういうこと言ってるんじゃないから
女 自主規制でしょ、くだらない
男 子供番組だし、海外売りとかあるのよ

 NGとは製作段階で控えること、つまり自主規制を含意する。「青少年の健全育成に配慮する」という理由はもちろんのこと、国内だけでなく、暴力や喫煙シーンの規制が厳しい国への「コンテンツ輸出」を視野に、無難な表現にする例もしばしばあるという。

 連想されるのは、13年7月に公開された宮崎駿監督の劇場アニメ映画「風立ちぬ」をめぐる議論だ。NPO法人「日本禁煙学会」が作品中に喫煙場面が頻出したこと、特に学生が「もらいたばこ」をする場面があったことを挙げ、製作担当者に苦言を呈し、配慮を求める要望書を出した。「たばこを吸うことが魅力的に描かれている」「喫煙シーンを見た子どもほどたばこに手を出すようになる」「命が最も大切だという作品のメッセージさえ損なう」といった趣旨だった。

問題すらない


 「自主規制といっても、そもそも表現が問題になることが少なくなったのではないか」。日本劇作家協会の会長を務め、劇団「燐光群」を主宰する劇作家、坂手洋二は少し戸惑ったように話す。自主規制以前に、意見の対立や政治性をはらむ題材が演劇化されること自体が近年の演劇作品ではまれ、という印象だ。とりわけ若手演劇人の題材は抽象的な、あるいはごく私的な世界へと内向化している。ならば波風は立たない。

 坂手自身は1989年、昭和天皇が死去した際の自粛ムードにあらがい「反自粛イベント」を開いたほどで、社会の空気を敏感に感じ取ってきた。2003年、有事法制やイラク攻撃などに危機感を抱いた演劇関係者らが結成した「非戦を選ぶ演劇人の会」でも活動している。

 同協会も声明を次々発している。集団的自衛権の行使容認に対して「表現者として、こうした論理的に破綻し、手続きも全て無視した解釈改憲という憲法違反を許すわけにはいきません」、女性器をモチーフにした美術家のろくでなし子が昨年、わいせつ物頒布容疑で逮捕されたことには「すべての表現者に対する弾圧に他なりません」。

社会より感傷


 なぜ、最近の作品は「波風が立たない」のか。もちろん単に「萎縮が極限にまで達した」というだけではない。坂手は「演劇表現の質そのものが変わってきた」と推察する。新劇からアングラ、そして小劇場ブーム。寺山修司、唐十郎、野田秀樹、平田オリザ…。演劇界の戦後は、新しい世代が既存の表現を「解体」することの繰り返しだった。その過程で「物語的な劇が否定されバラバラに断片化したように感じられる」(坂手)。社会や公共は後景に遠ざかり、登場人物は感傷に閉じていく-。大ざっぱにいえば、そんな流れだ。

 だが同時に違った「空気」も併存する。ある演劇関係者は明かす。「井上ひさしの作品というだけで躊躇(ちゅうちょ)する劇場がある」。日本を代表する劇作家さえ「護憲派」「政治的」と敬遠される現実がある。内向化した表現の隙を突くように、自主規制が静かに浸透しつつある。


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